早寝記録

6

「まずははっきりさせないといけないことがあ、ります」

 会長は変な犬が描かれている大きめのトレーナーと、下にはださいジャージを身につけてベッドの上に正座した。話し終わったあとはこのまま寝ようという会長の提案で、ここが話し合いの場所に決まったのだ。
 俺も会長の正面に座る。廊下と同じように常夜灯の灯だけだったけれど、不気味だとは思わない。それは、ひとりじゃないからか、それとも会長と一緒だからかはわからないが。

「なんで敬語なんですか」
「別に……。んで……決めなきゃならないことっていうのは」

 会長が言いにくそうに頬をかく。俺は待つ。けれど、少し不安だった。言いにくいことなのだろう。

「まず教えて。それって良いこと? 悪いこと?」
「わ、悪くはないこと」
「ならいいや。言うまで待つ」

 きょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせる会長にいつもの大人っぽさはなかった。今はただの16歳の少年だ。付き合う前の余裕綽々の会長はどこにもいない。これは、お近づきになれたという証なのだろうか。
 出会った頃と比べたら俺も彼も随分と互いに対する態度が変わったと思う。
 はじめの頃の会長はいつも不敵に笑っていた気がするし、それがだんだんと柔らかくなっていった。俺だって自分じゃわからないけど、きっと会長からすると変わっただろう。……きっと。

「あのさあ、はっきりさせとかないとと思って、電話かけたんだけど」
「はい、どうぞ」
「別に、そのうち逆転しても良いとは思ってる」
「はい」

 なんのことか全然話が見えないが、とりあえず相槌を打ってみる。

「けど、はじめとか、それからも慣れるまでの間はそのまま行くんだろうと思う」
「そうですか」
「木戸」
「はい」

 一向に話が見えないが、会長は覚悟を決めたように強い目をして俺をまっすぐに見据えた。少しどきりとした。最近は見慣れたと思ったけど、やっぱり会長は格好いい。すごく綺麗な顔をしている。

「どっちが女役するか、決めとこう!」

 きれいだと見惚れる俺の心を置いて、会長が勢い良く言い放った。
 どっちが女役するか、決めとこう。
 どっちがおんなやくするかきめとこう。
 ドッチガオンナヤクスルカキメトコウ。

「……はい?」
「だから、どっちが女役するか! 身長じゃねえんだって、こういうのって」
「そりゃあ……。つうか会長、何いってんの」
「なんだよ会長って。よそよそしいな」
「なんでいきなりんなこと聞いてくんの。なんの話? 女役って、もしかしてあれ? ケツにちんこ入れるやつ? 俺、普通に痛い方でいいですけど」
「えっ。ていうか、けっ、ちっ」
「けち?」

 なんだかこんなやりとりが数時間前にもあった気がする。もっとも、立場は違ったけれど。

「……冗談です」
「冗談かよ!」
「冗談です。けっちって言っちゃう気持ち俺にもわかりますもん。それで、俺、あんたに突っ込ませろなんて言いません。あんたが俺でたつならいいよ」
「たっ」

 恥ずかしかったが、もし顔が赤くなっていたって暗いのだからわからないだろう。しかも、灯は橙色なのだ。ごまかすことができる。それを利用して、できるだけ余裕な振りをする。

「そもそも、なんで今こんなこと言うんですか? もしかして誰かになんか余計なこと吹きこまれた?」

 言いながら、橘さんの顔が頭に浮かんだ。会長に電話をしていたところも見ていたし、もしかしたらあの後も電話をしたのかもしれない。

「いっ……。や、べ、別に、吹きこまれてはいねえ。別に、ケツにちん、ことか、言われてねえし」

 嘘がわかりやすい。

「気になっただけ。けど、あの、木戸の答えによっては俺だって色々と準備? ……ま、まあ、もういいや。ありがと、木戸、俺、木戸のこと好きだし、それなら女役でもいいやって、考えてたけど、やっぱなんにもしないで臨むことになったら、格好いい会長像が……だから、練習とか準備しようと――」
「良いってば。俺、痛い方で」
「まだ先の話なのに、なんかごめん」
「何謝ってるんですか」

 謝る会長を見て、木戸家家訓に縛られてる自分が情けなくなった。しかも、今では自分が何に縛られているのかもわからないのだ。本当は俺はいつだって木戸家家訓なんか気にしていなくて、ただ単に怖かっただけだろうと、こう思えてならない。今まで俺が言ってきた拒絶の理論は全て詭弁。本当の理由はきっと怖いだけ。
 男同士で付き合うとなると、きっと行き着く果ては体のつながり。
 じゃあ、その先にはなにがあるのか。
 一緒にいてどきどきして、心があたたかくなって、じんわりと幸せを噛み締める。
 どうしてこれだけで満足できないのだろう。

「人間って、面倒くせえ……」
「は? 木戸、何」

 付き合ったらすぐに突き合って、付き合わなくても突き合うやつらが多すぎて、俺はそういった行為をいっそ忌々しく感じていたが、会長と付き合ってみてはじめて気持ちだけでは収まらない恋を知った。これはただの言い訳。綺麗事。
 白状すると、結構頻繁にムラムラする。
 一緒にいるだけで満足できるような子どもの恋愛ごっこが、なによりもきれいだと思った。
 そんなことを思う自分に嫌気がさす。
 
 俺はきれいな人間なのか?

 そうじゃないだろう。いっつも悩んで、あらゆることを面倒くさく思って、少しの劣等感を見つけては卑下して――
 そんな俺が綺麗だとか汚いとか、よく言える。
 ふざけるな。くだらない。
 汚くてもいいじゃねえか。好きが汚くても良い。

「綾音ちゃん」

 会長の手を取って、挑発的に笑ってみせる。 

「あんたが俺とやりたいなら、別に良いよ」

 だから俺はそんな自分の浅ましさを棚にあげて、すべての罪を会長に着せようとした。

「は? 木戸、お前何言って」
「けど、会長言ってもノンケだからさあ、俺、不安なんですよね」

 癪に障るであろう笑みを作り余裕な振りをしながら、まだお行儀よく正座をしている会長の膝を崩しにかかる。 俺の頭には、『泣きぼくろ』の南季がいる。南季の属性は誘い受け。彼に倣い、俺はゆっくりと会長にのしかかった。

「ちょっ、木戸!」
「俺、女の子っぽい容姿してないから、無理じゃないかって思ってるんですけど」

 そう言いながら会長に体を密着させ、彼の首筋に顔を埋める。少し口を開けて首にでも噛み付いてやろうかと思ったが、絆された会長が俺の背中にふわりと手を置いたから、おとなしくじっとしていた。
 会長が俺の腰に手を回す。それから、片方の腕が背に回った。

「なんなんだよ、お前。木戸家家訓とか言ってたくせに……」

 呆れ声とは逆に、腰に回された手が服の中に侵入する。

「校則に組み込みたいとも言ってたっけ?」
「忘れたよ、そんなん」
「都合良すぎじゃねえ?」

 会長の手が俺の背を撫でる。手の冷たさが心地良かった。