終
もしかしたら、最初からすべてが決まっていたのかもしれない。
藤崎と付き合って別れて自棄になって風紀に入って、そこで委員長に出会った。
委員長は委員長ではなく橘さんとして、俺に本当にいろいろなことをしてきた。風紀委員に入ることが決まったのは中3の2月。だから3月の春休みから俺は橘さんにいろいろなことを教えてもらうようになった。任務のこともそうだけど、「お礼」と称してされる色々なあれこれが本当にすごかった。結局俺は会長と出会うまでの2ヶ月間はひっきりなしにいろいろなことをされてきた。
それは、主に橘さんのお父さんの会社で作っている大人の玩具のテストプレイ。卑猥な感じが満々だけれど、俺も橘さんも必死で、やってることはそれなりなのに、えろさは一切感じなかった。
しかし、俺の体は思ったよりも開発されていたみたいだ。
会長には申し訳ないけれど、それが今現在の俺にはありがたい事だった。
呼吸が口呼吸に変わって久しい。俺はまるで喜んでいる犬のように浅い呼吸を繰り返している。哺乳類で口呼吸ができるのは人間だけだそうだ。元々口は呼吸器官ではないが、言葉を話すために発達し、呼吸ができるようになったらしい。
口呼吸ができる人間に生まれて良かった。じゃなきゃ俺は死んでる。
会長の背中にしがみつきながら、俺は浅い呼吸を繰り返した。彼はまだださい柄のトレーナーを着ているから思う存分力いっぱい握り締めることが出来て、それがありがたかった。
俺の服は腹あたりまで捲れてて、会長が動くたびに服と服同士がこすれ、それが気になった。
ぽたりと口元に水が落ちる。舌を伸ばしてなめとると塩の味がした。
「木戸、苦しい」
言われて見てみると、確かに苦しそうな顔をした会長が俺を見下ろしている。額からの汗が頬を伝い、顎に到達する。そうか、さっきのしょっぱいものは会長の汗か。
会長の背を掴んでいたはずの俺の手はだんだんとずれていっていたようで、知らずのうちに彼の首の後ろを思い切り掴んでいた。しっかりと腕を伸ばして抱きつく形になっており、だから苦しかったのかとぼんやりと思った。
手の力を緩めると会長が数回咳をした。動きが止まる。
「ごめんね」
謝ってみる。口に出してから気づいたが、普通にタメ口だった。
会長はひとつ長く息を吐き、疲れたように俺に覆いかぶさった。そのことによって俺は会長の胸が大きく上下していることを直に感じた。一定のリズムで、しかし大きく動いている。その動きを感じながら、今度はきちんと会長の背に手を回す。
これまでの感想は、「思ったよりも痛くなかった。」これに尽きる。ただ、ひっきりなしにじんじんと鈍い痛みを放ち、それからやはり違和感は途切れずあった。
会長の頬が俺の頬にあたっている。なんとなく擦り寄ってみた。前に粉のついたおもちみたいだと思った頬は、今はじんわりと湿り、粉のついていないおもちのようだ。しかし、熱が気持ちいい。
「やっぱ体力あるね」
会長がつぶやく。
「俺? 普通」
「だって、もう息ちゃんと整ってんじゃん」
そういう会長は、いまだ長距離走の後のようなゆっくりと荒い息を繰り返している。
「あんたが貧弱なだけじゃねえの……、じゃないんですか」
「何思い出したように敬語になってんの……」
会長がくすりと笑った。しかしそれはすぐにため息に変わる。
「俺さー……」
そうして、体勢を変えぬまま問わず語りに話し始めた。今の俺と会長の状態は橘さんが言うところの「ケツにちんこ」状態で、いきなり話を開始されてもはっきり言っていい迷惑だった。
「話なら後で聞くから。今は話してる場合じゃないでしょ。普通に考えて」
「いや、終わる前に話さないといけないことなんだよ」
「じゃあ始まる前に話してくださいよ」
「俺、あれなんだよ、あれ」
「なんですか……」
改める気はないらしい会長に、俺は早くも諦めることにした。
「ヘタレ攻め」
「はあ? 今さら何言ってるんですか。自信持ってくださいよ。へたれてても結構格好良いですよ」
「……木戸がすらすらと敬語を使う時は、気を遣ってる時」
「な、何言ってるんですか」
「俺さあ、嘘ついたんだよ」
会長が小さくつぶやく。いつも自信満々な会長にしたら引くくらい小さな声だった。
「嘘ってなんですか?」
会長が吐くだろう嘘を考える。会長が答えをいうまではもしかしたらほんの5秒足らずだったかもしれないが、俺にとってはかなり長く感じた。
一番に思いついたのが俺を好きだというのが嘘だということ。けど、もしそうだったら会長は世界一の詐欺師になれる。しかも、今はケツにちんこ状態なのだ。このまま俺に食いちぎられても文句は言えないだろう。
会長が少しだけ頭をもたげ、俺の顔を見下ろす。まっすぐに目を見つめられていたたまれない気持ちになったが、必死に目を逸らさないようにした。
「さっき、誰にも吹きこまれてないっていったけど、本当は、橘から話聞いてたんだ」
「聞いてたって、何を?」
橘さんというと、「ケツにちんこ」しか出てこない。さっきまでの俺は、一日中「ケツにちんこ」でいっぱいだった。橘さんが「ケツにちんこ」を乱発したあと、考えようとしなくてもふとした時に「ケツにちんこ」が浮かんでは消えを繰り返し、今ではついに「ケツにちんこ」を実践してしまっている。
俺は今多分真面目な顔をしている。会長も真面目な顔をしている。
きっと彼は今の俺の頭の中が「ケツにちんこ」でいっぱいなんて思いも寄らないだろう。しかも、彼に忘れないで欲しいのは、俺の頭の中もケツにちんこでいっぱいだけど、ケツの中もいっぱいなのだ。
しかし、会長は真剣な顔をしている。
「橘が、さっき木戸が来る前に電話をかけてきたんだ。『今日が勝負だ。ケツにちんこ入れようか』って。ばかじゃねえのって言ったんだけど、その時、この前常磐に聞いた言葉がよぎって……」
「常盤さん?」
「ああ。当然のように自分が突っ込む方だと思ったらダメだ、ちゃんと確認しないとって」
「何話してんですか、あんたら……」
「それ聞いて、そうだよなあ、木戸だって男の子だしなあって」
「それでさっきのあれに行き着いたってわけですか」
はっきりさせないといけないことがある、としどろもどろに話していた会長を思い出す。
「その前の電話で、俺と木戸ってどっちが女の子役なの? って聞いてきてたし。それで、なんで今日が勝負なんだよって言ったら、木戸もなんかそんなようなこと言ってたよって。そんなようなことって何だよって聞いたら、それは自分で考えろと。それからは、考えないようにしてても、どうしても頭からケツにちんこが離れなかった……」
ふ、と会長が自嘲的に笑う。わずかに眉根を寄せて自嘲の笑みを浮かべる会長は格好良いが、内容がその格好良さに全く付いてこれていない。
「だから、電話したんだ。午前0時は、いつもなら木戸が寝てる時間。もし起きてたら、勝負に出ようって。木戸家家訓を忘れてたわけじゃないけど、関係ねえやって」
「けど、あんた自分から誘って来なかったじゃないですか」
普通に言ったつもりなのに、咎めるような口調になってしまった。しかし、会長は気にする風もなく、また笑った。
「ヘタレ攻め」
「はい?」
「俺、ほんとにこれだったみたい」
「ヘタレ攻め?」
「そう。俺、木戸家家訓守るつもりだったから、ここで勝負に出たら木戸に嫌われるんじゃねえかって」
「んなことで嫌わないですよ」
「俺、ずっと信じてたんだよ」
会長が情けなく眉を下げる。口元にはいつもの笑みが浮かんでいた。
「信じてたって、何を?」
「本当の恋愛というのは、一緒にいたり見つめ合うだけであったかくて幸せな気持ちになれるものなんです」
「は……?」
「なに、覚えてねえの?」
会長が目を細める。
「それって、もしかして」
記憶を手繰り寄せる。半年くらい前、出会って少ししたときに、会長に言った記憶がある……ようなないような。いや、ある。思い出してきた。童貞だとばかにされたから覚えてる。
「あんたが俺を童貞だってばかにした時、俺言った。そういえば」
「ばかにしてねえよ」
「いいや、あれはばかにしてた」
「ばかにしてねえって。木戸もわかるだろ俺とやってみて。ばかにできるほどしたことねえよ」
「信じません信じません。そんな良い顔してしかも頻繁に街に降りてて女が寄ってこないわけない。全部断ってたんですか、なんですかホモですか」
「結果的にはホモだけどよ」
「そうですかホモですか」
非日常的な体勢で日常的なやり取りをすることに耐え難い羞恥を覚え、俺はたまらず腕で顔を隠した。
それでなくても恥ずかしいのだ。
だって、会長は覚えていた。俺の言った言葉をちゃんと覚えていた。
言った自分でも忘れてるようなこっ恥ずかしいことを、きっとずっと心に置いていたのだろう。
「俺、我慢強いほうだと思ってたんだよ」
会長も恥ずかしくなったのか、シーツに顔を突っ伏した。くぐもった声が聞こえる。
「しかも、木戸男だし。心で恋愛できると思ったんだよ。ほんとの恋できるって。プラトニックだプラトニック。でも全然だめ。だって一緒にいるとくっつきたくなる」
会長が、「ごめん」とつぶやく。
「……誘ったの、俺なんだけど」
顔から腕を下ろし、そのままシーツに突っ伏している会長の髪の毛を引っ張る。会長がかすかに呻いて顔を上げた。
俺は、これから恥ずかしいことを言うつもりだ。
理想と恐怖だけで恋愛論を展開してきた半年前の俺の言葉を、そのまま信じてくれてなんか知らんが自己嫌悪に陥っているらしい会長。
ありがたいと思った。彼は、俺との時間を大切に大切にしてくれていたのだろう。
俺は、自分のことを嫌なやつだと思う。俺がもう一人いたら、友達になりたくない。生意気で、笑う顔は悪役みたいで、よく不良に不良と間違えられる。
だけど、俺は俺が好きだ。
だって、会長が俺のことを好きだから。
「ねえ」
下から会長の頬を両手で包み込む。できるだけ優しく、ふわりと。
「全部で恋愛しようか」
抽象的な言葉に、会長が俺の真意を受け取ってくれたかは微妙だが、常夜灯の灯の中でも真っ赤にそまる彼の顔が、答えを教えてくれた気がした。