青い春
ペラペラとミキちゃんに借りた漫画をめくる。ちょうど手を止めたところで、イケメンが格好良く愛を語っていた。
それを見て、思った。
「本気で愛したのは初めてだって、こんな感じのセリフあるじゃないですか」
ソファに寝っ転がっている会長に話しかける。会長はぼんやりと一点を見つめていた。
そういえば昨日はあまり眠れなかったと言っていた。
「ボーイズラブでか?」
けど、会長はきちんと答えてくれる。少しまどろんだような熱っぽい瞳に、申し訳ないけれどどきりとした。
「少女漫画でも」
「木戸少女漫画読むの?」
会長が起き上がり、ソファの下にいる俺の手元を覗きこんでくる。少し首を回せば至近距離に会長の顔があった。彼の視線は俺の見ている漫画へと注がれているから、あの素敵な愛のセリフが目に入っているだろう。
「読まないですけど。イメージですよ。なんつーか、主人公はだいたい赤着てるのと同じ感じの常識」
会長が眉を寄せそのままの位置で漫画から俺の顔ヘと視線を移す。
「意味わかんねえんだけど。でもぼんやりとわかるこの感覚ちょっとこそばゆいな」
そして、わずかに笑う。
そんな会長も格好良かったが、このままではどんどんと聞きたかった内容からずれていってしまう。軌道修正をしなければ。
「……ちょっとやり直します。いいですか」
「おー」
会長がソファから俺の隣に下りてくる。肩と肩とが触れ合わない寸前のところだ。横を向けばごく近くに会長の顔があるから、下手に目も合わせられない。
いくら付き合っているからと言ったって、間近で目を合わせるのはまだ恥ずかしい。
こんなことを考えていたら、会長を好きだと自覚した頃のような妙な緊張を思い出して、慌てて意識の外にぶん投げる。
「本気で愛したのは初めてだって、こんな感じのセリフあるじゃないですか」
あくまでも平静を装い、さっきと同じ調子で同じ事を言う。
「ボーイズラブでか?」
会長も乗ってくれる。
「ボーイズラブで」
「あるな」
よし、行けそうだ。平常心を取り戻してきた。会話に集中しよう。
「結構よくあるパターンだと思うんですよ」
「そうだな。90%くらいか?」
「はい。攻めキャラがよく言いますね」
ミキちゃんから借りた本で、格好いいタイプの攻めキャラはほとんどが主人公に「初めて本気になった」と告げる。この展開は嫌いじゃないが俺には思うことがあった。
「俺と木戸で言うと俺か……」
会長がしみじみと口にする。
確かに俺と会長に役割を与えるとしたら彼が「攻め」で俺が「受け」だろう。
俺が受け、か。
「なんて顔してんの」
俺の顔をのぞき込んだ会長が首を傾げた。知らず、変な表情をしてしまっていたらしい。
「どういう顔してました?」
「苦渋の表情ってこんな顔なんだなって」
「俺、自分が『受けキャラ』って思うとすげー気持ち悪くなるんすよ。で、あんたが不憫に思える」
「なんでだよ」
「だって、可愛くも綺麗でもねえもん。性格もさ」
俺はBLで言うときっと友達ポジションだ。何にもなれない中途半端なキャラクター。可愛くもなく格好良くもなく綺麗でもなく、平凡キャラが持っている愛らしさもない。
「ツンデレってやつじゃねえの? 木戸、流行りに乗ってるよ」
「俺、あんたが言うほどつんつんしてねえと思うんだけど」
「そうかあ?」
性格だって、生意気かな、と反省することはあるが、ツンデレほどツンツンもしていないと思う。
「うーん……けど、まあ、……そうかあ?」
しかし、会長は俺のことをどう思っているのか、目を閉じて唸りだした。また聞きたい内容からずれてしまっている。
「まあ、どうでもいいけど」
再び軌道修正しようとしたところで、会長が目を開け、口を開いた。
「……本気、かあ」
ぽつりと呟かれた言葉にはニュアンスのわからない哀愁が含まれている気がした。
「本気、ね」
今度は納得したように視線を少し上向かせ、さっきよりも幾分すっきりしたように会長が言う。
「……なんですか」
「木戸、俺に言って欲しいの?」
そうして、会長はからかうようににやりと口の端を吊り上げた。
「んなわけないじゃないですか」
「話題に出すのは言って欲しいからなのかなって思ってよ」
「違うよ。……まあ、30歳位の人に言われるのはきっと悪い気はしないと思うけど、あんたまだ若造じゃん。16年しか生きてないなんて何事って感じだし。そんなんで本気とか言われても乾いた笑いしか出ない」
得たかった答えを自分から言う。
まだ10年20年しか生きていない少年たちが、みんな本気の恋を知っていると思うのかそれを聞きたかった。聞いた後自分の意見を言おうと思っていたが、聞く前に言ってしまった。
俺は今もだけど、藤崎の時だって本気で恋をしていた。会長を好きだからって、嘘でも「これが初めての本気の恋」だなんて言えないし思えない。
俺は絶対に会長に言ってほしくない。色々と御託を並べたが、要は恐いのだ。
本気はきっと塗り替えられる。
もしも会長に「初めて本気で好きになった」と言われたら、俺はありもしない先のことをまるで現実のように考えてしまうだろう。
会長が俺の知らない可愛い女の子の横で、同じセリフを吐くのだ。「初めて本気で好きになった。今までのは本気じゃなかった――」って。
会長は俺のことを好きだ。ずっと一緒にいるつもりでいる。
でも俺は女々しくも最悪な仮定の話を考えてしまう。
そんな俺の思いなんていざ知らず、会長はのんきだった。
「俺、木戸に本気って言われたら嬉しいよ」
それに少しムカつく。
「俺もひよっこですよ。愛なんて絶対わかってない。わかってないのに言われたら嬉しいんですか」
「だって、木戸には藤崎っていう前例があるから、初めて本気になったって言うってことはとりあえずは藤崎に勝ったって事じゃんか」
微笑む会長に一瞬何も考えられなくなり言葉に詰まる。
「……なにいってんですか」
「男らしくねえこと言ってる」
「ばかじゃないですか」
「ばかじゃねーの? 俺。木戸はあんまり好きとかいってくれねえけど、欲しい時もあるんだよ。なんか、好かれてるって実感したい時がある」
「綾音ちゃんだって言わねえじゃん」
「言って欲しかったら言うけど」
「いらねえし」
「あ、そう」
それっきり会長は緩く笑みを浮かべるだけで何も言わない。
「言わねえの?」
「好きだよ。木戸は?」
軽く言ってしまう会長は狡いと思った。理由はわからないけど、こいつはずるい。
「……まあまあ」
「なんだよ」
「良いじゃないですか。俺で遊ぶのは止してくださいよ」
「遊んでねえよ」
「やっぱ好きとか、言葉での愛情表現はいざって時だけにしないとダメです」
あまりにも言われないのも不安になるだろうが、言われすぎてもきっと不安になる。詐欺師ほどよく喋るから。
「まあ、なあ。好きの大安売りはダメだな、なんかここぞという時に愛してるって囁くのが効果ありそう……」
会長がぶつぶつと小声で言い始めた。
「いや、愛してるはだめだ。絶対ダメ」
そして、何やら結論に至ったらしく、強い目を俺に向けた。会長の綺麗な灰色の目はやはり少しだけ熱っぽく、いつにもまして吸い込まれそうになる。
「木戸もさっき言ったよな。俺たちまだ16で愛なんて絶対わかってねえって」
「言いましたね」
「……よし、木戸!」
「なんですか」
「30歳になったら、俺、初愛してるを言うから」
「初愛してる?」
「それまでとっとく」
会長が満足気に笑った。邪気のない笑顔は明るい未来を信じてる。それに呆れると同時に肩の力が抜けた。
「……あんたって、簡単にすごく先のこと言いますよね」
「すごく先のことって?」
「働いた時のこととか、今みたいに30歳になったらとか」
「だってそれは決まってんじゃん。木戸はいつか死ぬだろ。人間だから」
「そりゃあね」
「それと同じように、俺と木戸が一緒にいることは決まってるから、軽く言えるんだって」
「……そっか」
自信満々な会長の言葉に、なんだかすべてがどうでも良くなった。俺の不安や悩みなんて、なんていうかちっぽけなものなのだろう。
「なんだよ。信じてねえな、まだ、俺のこと。それとも自分のことか?」
「俺はずっと先輩が好きだよ」
きっと未来は明るい。会長の言うとおり、ずっといっしょにいることが決まっているのなら、太陽も負けるくらい明るいだろう。
今まで優勢だった会長が無様に頬を染めている。こいつは不意打ちに弱い。段々とそれがわかってきた。
照れているらしい会長を横目でじっと眺める。会長が睨んでくるが、彼の白い肌はほんのりと赤く染まっているし、全く迫力がなかった。
「なんだよ、木戸」
「何赤くなってんの」
「言われ慣れてねえからだろ。お前のせいだ」
「ふうん」
責任転嫁する会長をちょっとかわいいと思ってしまい、鳥肌が立った。
しばらく、俺は鳥肌と、会長は想像でしかないが羞恥心と戦っていた。その割にまったりとした時間が俺たちの間を過ぎていく。
「まあ、いいや。木戸」
「何ですか」
「30歳の誕生日、楽しみにしてろよ」
会長がにやりと笑った。さっきまで赤くなっていたのに、立ち直りの早いやつだ。
「あんたもね」
30歳の誕生日を想像してしまった俺は、情けなくも照れ隠しに漫画のページをめくった。
漫画はすごい。白い紙に黒の線だけで世界を作っているのだ。そこにはツンデレ受けの主人公が「愛してる」と言ってイケメンの胸へと飛び込んでいる世界があった。
照れはある。自分の姿を重ねるとどうしようもないくらい気持ち悪い。
でも――
14年後やってみようと、一人心に決めた。