早寝記録

嫉妬

「あ。お前の木戸がいる」

 クラスメイトに肩を叩かれて見ると、確かに廊下に木戸の姿があった。しかし、木戸は俺のクラスを知っているはずなのに、俺の教室には興味が無いように、ぼうっと違う方向に目を向けていた。心底面倒くさそうな気怠げな感じで、壁に背を預け、ポケットに手を突っ込んでいる。ちょうど俺の席から見える木戸を観察する。

 俺は木戸と付き合っていることを隠していないが、なぜかみんな信じてくれない。生徒会や風紀は信じてくれている(と思う)が、他は俺が冗談で言っていると思っている。木戸が一年の時は、俺と仲が良い木戸にみんなうざいほどつっかかっていってたくせに、実際に付き合い出してしばらくたち、木戸に何度目かの成長期が来た頃くらいから突っかかられることもなくなったと言っていた。
 誰にも、本人にさえ言っていないが、木戸は、俺から見ると可愛い。木戸の身長が伸びてから、気怠げな雰囲気も作用してか、格好良くなったという声も結構 聞かれるが、俺にとっては可愛いままだ。だから気にしなくても良いのに、木戸は自分が可愛くも綺麗でもないことを気にしている。可愛いよと言ってやればいいのかもしれないが、多分木戸は信じないし、それに、格好良くなったと返した時に木戸の顔が歪むのが好きだから付き合い始めてから本人に可愛いと言ったことはない。

「木戸君って、機嫌いい時あんの?」

 席から廊下を眺めていると、教室の前の方からクラスメイトが木戸について話しあう声が聞こえてきた。

「この前学食で涙流して笑ってたよ」
「それ、俺といった時? あれ、後ろから誰かにくすぐられてたから。機嫌いいわけじゃないんじゃねえの?」

 前の方から、全体に広がり、瞬く間にほうぼうから木戸へのコメントが届く。木戸はというと微動だにもせずじっとしている。

「でも、地味に格好良くなったよねえ。この前、後輩に告られてるとこみた」

 何、聞き捨てならない。

「地味ってのはやっぱ付くよな。進藤といたら地味さが際立つ」
「何が地味なんだろうね」

 クラスメイトたちの会話が続く中考える。木戸は告られたとかそういう話はしない。まあ、告られることがあっても振っているだろう。木戸は俺が好きだから。それに、木戸と仲良くなってみてわかったことだが、俺には一途さと尽くす性質がある。見た目だけならストライクと言われたこともあるし、それに加えて一途で尽くすなんて、俺が木戸だったら俺と付き合いたい。
 それなのに、胸に宿るこの気持ちはあれだ。嫉妬。俺、今嫉妬してる。無理やり自分を褒めたってちっとも安心できなかった。
 廊下で、俺のクラスがすぐそこにあるっていうのにまるで別の方向を向いてる木戸がなんか憎い。

 その時、木戸が動いた。俺の教室とは逆を向き、少し笑う。誰に笑いかけたのか。なんか腹立つ。木戸の右腕が何者かに掴まれる。そいつの姿は見えない。木戸が戸惑った表情を浮かべるが振り払う様子はなかった。

「あ。来る」

 木戸の腕を引く人物が姿を現し、教室に入ってくる。心なしか、木戸とそいつ――橘はクラスの注目を集めていた。
 憎いことに、木戸は俺とすれ違いざまにどうも~と軽く挨拶しただけだった。こんなんだから付き合ってるなんて信じられてねえのか、だから告白なんてされるのか。

「廊下まで持ってきてくださいよ。俺、3年の教室には入りたくなかった」

 橘に向かって木戸が言う。

「せっかく来てもらったから飴でもあげようかと思って」
「それこそポケットに入るでしょ!」

 橘が机の中から缶を取り出し蓋をあける。そして、はい、と飴を一個木戸に渡している。木戸は呆れた表情を浮かべているが律儀に礼を言って飴を受け取った。ふたりのやりとりを盗み聞く。どうやら、木戸は風紀の書類を取りに来たらしい。今年度から風紀委員の顧問になった千田に、今朝までに届けなければいけなかった書類がまだ橘の手元にあったのだ。橘が理由なく期限を破ることはないから何かあったのだろう。俺には関係ないけど。

 いや、別に話し掛けてほしいわけじゃない。俺に会いに来たわけじゃなく橘に用があって来たんだから俺に話し掛けないのは普通じゃねえか。ちゃんと挨拶してきたんだし、それだけで良いだろ。

 ああ、やばい。俺、ストーカーとかの素質あるかも。束縛する男にはならないと決めていたのに。

 自分に不安を覚え、とりあえず物理的に距離を取ることにする。まだ授業が始まるまで5分はあるからトイレにでも行って頭を冷やそう。本当はサボりたいくらいだが、次の授業はホームルーム。今回は進路の話とか、大事な話をするらしいから、絶対参加が義務付けられている。だから橘も資料の提出を木戸に頼むんだと思う。

 立ち上がり、教室から出る。ちらちらと視線を感じるが、同学年から騒がれることはもうない。さすがに中等部から数えて6年めともなると俺の顔にも慣れるのだろう。すごいちゃらついた容姿から、今の真面目な容姿に変えた時は同学年からも結構騒がれたが、もうそれから1年が経つ。

「綾音ちゃん」

 名前を呼ばれた。しかも、ちゃん付け。
 ちゃん付けなんて嬉しくないが、それでも心臓が一瞬跳ねた。ちゃん付けであっても声を掛けられて喜んだのか、俺は。ださい。
 振り返ると、大量の資料の入ったダンボールを抱えた木戸が笑って付いてきていた。

「やっぱ、機嫌わりーの?」
「悪くねえよ」
「嘘だ。悪いでしょ」
「お前は嬉しそうだ」
「別に」
「笑ってんじゃん」
「ちょっとだけ気分は良い」
「なんで?」
「なんで?」

 トイレは通り過ぎた。用もないのに階段を降り、人気のない踊り場で立ち止まる。資料を運ばなきゃいけないのに、木戸も立ち止まる。

「教室で、おとなしく席についてるあんた見て、普通の高校生みたいだって思ったからかな」
「それで気分良くなるのかよ」
「俺、おかしいから」

 はは、と木戸がいつになく爽やかに笑う。本当に、おかしい。

「……お前のほうが機嫌悪いだろ」
「あ。気付きました?」
「敬語、久しぶりに聞いた」
「俺も、久し振りに使った気がする。生意気だね、まじで」
「別に気になんねえよ」
「あんたは優しいね」
「……本気でおかしいな、今日」

 木戸が爽やかな笑みを引っ込め、諦めたように控えめに笑う。何かを諦めたのか、その表情が嫌いだ。

「もうすぐ授業始まるって。橘さんが次は絶対参加って言ってた」
「少しくらい遅刻しても怒られるだけですむ。だから変な理由言ってけよ。スッキリしたいから。俺が」
「まじで? 言っちゃうの?」
「言っちゃえよ」

 茶化すように木戸が笑う。

「早く」

 急かすと、また諦めたように笑った。

「俺が3ヶ月早く生まれてたら、教室にいる先輩も、いっつも見れてたんだなって思ったんだよ」

 俺の生まれた4ヶ月後に木戸は生まれた。同学年でもおかしくない差。

「あんたも前に言ってたけどさ、実際に目にすると、こう、クるものがある。……なんか、敬語の方が良いかも。敬語のほうが距離を――」

 木戸の言葉を遮り、肩を引き寄せて一瞬だけ口付ける。授業開始を知らせるチャイムとともに木戸の目が驚いたように見開かれた。

「距離なんか、なくていい。ちゃん付けはどうかと思ってたけど、呼ばれたら割と嬉しいキモい自分にも気付いてる」
「せ、先輩」
「じゃあな、また、あとで」

 今無意識に自分がしてしまったことを思い出し今更テンパる。
 だって、可愛かったんだから仕方ない。俺と同じ学年だったら良かったのにと落ち込む木戸も、今珍しく顔を赤くしている木戸も可愛すぎる。

 放心状態の木戸を残し、足早に階段を登る。もう廊下に人の姿はない。ふと階下を見下ろすと、まだ木戸はその場に立ち尽くしていた。