天井裏の話
髪を切ろうと思ってるんです。と言った人は暗いもやを背負っているように見えた。
どんよりとしている。天気で言うと絶対曇り。
けれど、天井裏という雰囲気も見た目も明るくはないこの場所がそう見させているのかもしれない。
「失恋でもしたの?」
不躾にでも尋ねてみる。そうしたらその男は、男にしては長い髪を細い指先で一筋摘むと、
「長すぎるので……」とひどく今更な事を言った。
「ずっと長いじゃん」
「最近になって、男らしさを気にするようになったのです」
「坂上さん、まさか恋でもしたの?」
さっきとは反対のことを聞く。
「してませんよ。三木君はどうなんです?」
「何が?」
「恋ですよ」
「別に、してない」
俺が答えると、坂上さんはやけに子供っぽく口をとがらせた。その意味が分からず考える。
だって今の会話の中で不服に思う理由はない。
「想像してしまったのです」
だけど、俺の疑問はすぐに坂上さん自身によって解決された。
「君に恋人が出来れば、こうやってともに過ごす時間が減るでしょう」
恭弥が会長とくっつき、さらに一緒にいる時間は減った。風紀委員会も忙しいらしいが、勝手な僻みなのか会長とくっついたからなんだ、と思ってしまっている。
けど、寂しいが仕方がない。
そこまでの恋なんかしたことないから知らないけど、きっと四六時中一緒にいたいと思うものなのだろう。
会長大好きな男子たちの攻撃をあれだけ受けても貫けるんだから、きっとそうなのだろう。
最近はこんなことばかり考えている。寂しいのだろうか。自分のことなのによくわからなかった。
「どうしたのです?」
すっかり物思いに耽る俺に、坂上さんが無表情に聞いてきた。彼はあまり感情が顔にでないらしい。それが人に冷徹さを感じさせる。
「坂上さんって、俺と一緒にいたいの?」
考えてはいなかったことを言う。
「……迷惑でしょうか」
「迷惑じゃないけど」
「けど、なんです?」
「そうだったら、変な奴だなって思って」
「私が?」
俺の言葉は、なぜか坂上さんを驚かせたようだった。聞き返す声が弾んでいる。
「うん。俺と一緒にいたいなんて、変だから」
「さわやかに、何を言ってるんですか……」
坂上さんがいぶかしげに言った。声色に、不安か心配かがはらんでいた。俺はこのときはじめて彼が自分よりも年長者なんだ――という気になった。坂上さんは見た目と違って話していると妙に子供じみていることが多いから。
「自虐? 自虐してるんだよ。嫌だよね、自虐って。きっと無意識に否定されたいんだよ。今の俺だって、一緒にいたいって言って欲しいんだ」
「……そうなのですか?」
「そうなのですよ。きっとね」
「きっと、ですか」
「きっとだよ。わかんねぇもん俺、自分のこと」
坂上さんが「そうですか」と言って考えこむ。彼の長い髪がうつむいた拍子に真っ白な頬にかかるのが見えた。
物憂げな姿は、まるで美しい大人の女性だった。眉の下にある前髪をどうにかしたら、おそらく女性っぽさは軽減するだろう。
恭弥だったらこんなことを思いついたら考える前に口にする。女みたいだし、切っちゃえば? と軽く言える。あいつは顔とか雰囲気は悪役っぽいけど、憎めないようなところがある。何を言っても許されるのだ。だけど、今俺が坂上さんに女っぽいと言ったらきっと彼を傷つけてしまう。それか、むっとさせてしまうだろう。
「三木君は、私といたいと思ってくれていますか?」
しばらく考え込んでから坂上さんが尋ねた。ひんやりとした床から俺へと移された目には温かさを感じる。
「君は、私のことを恨んでいましたが」
しかし彼は意地悪なことを付け加えた。二ヶ月前の闇討ち計画。俺は食堂で恭弥に迷惑を掛けた坂上さんに復讐しようとひとり彼の後をつけたことがある。その時のことを言っているのだ。それからたまに話すようになって、最近では坂上さんが男と男のあれやこれやを覗きみている俺を目ざとく見つけて、一緒に覗きみている。
今だって俺達のいる場所は狹くて埃っぽい体育館倉庫の天井裏。ここからだと体育館裏の愛憎劇が結構見れるのだ。しかも狭いといってもあぐらをかいても頭がつかないくらいだからストレスなく過ごすことができている。
天井裏に坂上さんは全くしっくり来ず、変な感じがした。
「あんたを恨んでる俺に聞くなんて、坂上さんもばかだね」
俺の言葉に坂上さんは怒るでもすねるでもなく小さく笑った。それが彼を大人びて見えさせる。普段は結構なめている坂上さんのいつもとは違う表情に、漠然とした不安を覚えた。近くにいると思っていた人が遠くに行ってしまう感覚に襲われる。
「自虐しているんです。私は、いっしょにいたいって言って欲しいんです」
坂上さんが真剣な顔をしてさっき俺が言ったのと同じ事を言った。随分意地が悪いと思った。しかし、すぐにその表情が翳る。
「ドキドキしているんです。これでも、かなり」
「なんで?」
「否定されてしまったら、どうしましょうと」
「しないよ」
「心の中なんて見えませんもん。私の今の言葉を受けて否定できるほど、君は意地悪じゃない」
そう言ったきり、坂上さんはぼうっと何かを考えこんでしまった。声をかけようと思ったが、掛けるべき言葉は坂上さんが会長から生徒会室に呼ばれるまで、とうとう見つからなかった。
ひとりになった俺は、そのあと起こった体育館裏の愛憎劇をひどくつまらぬ気持ちで見ていた。
ひとりになって寂しく思っているこの心が、答えを教えてくれている気がした。
会長の呼び出しなんて無視してここにいてくれたら良いのに、なんて身勝手なことを思う。