木戸の話
小さいころ、友達はあまりいなかった。
なにを持って友達とするのか今でもよくわかっていないが、俺が自信をもってこいつは友達だ、と呼べるのは気の弱い幼なじみひとりだけ。優しい顔をした、太った男の子だった。よくいっしょにいじめられていた。俺は幼いころ小さくて、それに加えて親がかわいい色の服ばかり着せるものだから俺の性別をしらないやつから見たら100パーセント女の子に見られていただろう。
現にお店のおまけとか祭りのくじ引きでもらうのは全部女の子が欲しがるものばかり。だけど渡してくる大人たちがみな笑顔だったから否定もできず、俺は当時流行っていたヒーローの覆面ライダーが欲しかったのに部屋には女の子のフィギュアやグッズばかりが増えていった。
それが嫌だったし、クラスメイトなどからは男なのに女の子みたいだとからかわれてもいた。
さっさと言えばよかったのだ。からかわれていることとか、からかわれてショックだということが恥ずかしくて誰にも言えずにいたが、いまから思えば、これをひとことでも親に言っていたら彼らはかわいらしい服を買うことをやめただろう。
言えなかったのは、からかわれて落ち込んでいる自分を知られたくなかったから。俺は誰にも弱いやつだと思われたくなかったのだ。
人に合わせることができなかった。うまく生きていくためには人に合わせたり、時に強いものや集団に沿うことも必要だ。たとえそれが誰かを傷つけることになったとしても。自分を守るためには小さな頃テレビの中のヒーローから受け継いだ正義をひとつひとつ捨てていかなければならないらしいから。
陰鬱とした気持ちだった。
ベッドに寝転びながらネットをしていたのだが、覆面ライダーが十年ぶりに映画になることがニュースになっていて、苦い思い出とともに久しぶりに昔憧れたヒーローを思い出してしまったのだ。人に嫌われていたころのどうしようもない自分。結局唯一の友達――レイちゃんも俺を置いて行ってしまった。忘れもしない小学校の卒業式の日、ずっと迷惑かけてごめんね、俺のせいでいじめられてごめんね、と残酷なことをいってあいつは俺を独りにしたのだ。秋に中学が離れるとわかったときにも、これで恭弥くんにもたくさん友達ができるね、とレイちゃんは力なく、だけど安心するように笑っていた。
それでも一緒にいた6年間を、ごめんねの一言で片付けられてしまったのはショックだった。俺は楽しかったし、寂しいのに。ずっといっしょにいたいって何度も伝えていたのに。
あの瞬間、俺の中で消えかかっていた覆面ライダーがあとかたもなく消え失せた。
そのおかげで、中学に入っても生意気さは抜けなかったが、自分のために人に合わせることも覚えたし、友達と呼べるやつもできた。
だけどたまに虚しくなる。申し訳なくなる。みんなが「友達」にしてくれた俺は、自分を守ることを覚えた汚い人間だから。
いっそのことみんな嫌ってくれたら良いのに。嫌われることには慣れているし、そもそも俺は俺が嫌いだ。
まだ時間は早かったが、リモコンで部屋の電気を消して寝る態勢を取る。眠れないだろうが、電気をつけて目を開けているよりは寝られる確率が上がる。変な夢でも見られたら、おとなになったずるい俺は今日のこんな考えもなかったことにして明日から呑気に笑えるだろう。
室内は無音。俺は自分の体から聞こえる音を耳ざとく拾いながら睡眠の入り口を探した。
どのくらい時間が経った頃だろうか、遠くでドアが開く音が聞こえた。今日は帰らないと言っていた同室者でも帰ってきたのだろうか。何番目だかの恋人のところに行くと言っていたが、もしかしたらケンカをしたのかもしれない。どうでもいいけど。
しかし、足音はそいつの部屋を通り越し、俺の部屋の前まで来た。そして、簡易的な鍵を開ける音が聞こえてくる。ここまできたら犯人はひとりしかいない。
「ピンポーン。夜だしさあ、チャイム使わねえできたよ、って、あれ? 木戸、寝てんの?」
「寝てない」
一番の可哀想な男がやって来た。俺なんかを好きだという、可哀想なやつだ。スイッチの位置も知っているはずなのに、優しいそいつは手探りでこっちに向かってくる。
少しだけ体が沈む感覚。先輩がベッドに乗り上げたのだ。なんとなく目は開けない。
「たまには木戸の部屋で寝ようかなって思ってきたんだけど、もしかして調子悪い?」
「体調は悪く無いですよ。でも、することねえし、寝ようと思っただけ」
「普段着のまま?」
「……着替えるの忘れてただけです。気にしないで」
ふと、手酷く抱いてほしい欲求が生まれる。少しでも被害者ぶりたいのだ。じゃないと、こんないいやつに好かれて優しくされている自分のことがもっともっと嫌いになってしまう。ここまで考えて、もう救いようがないと思った。
もぞもぞと動き、先輩が布団の中に入ってくるのがわかる。そこでようやく閉じていた目を開けると、至近距離だからか先輩の見慣れた顔がすぐそばではっきり見えた。
彼はなぜかいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「木戸」
「……なんですか」
「木戸、俺が今何思ってるか当ててみろ!」
「いきなりなんなんですか……めんどくせえ」
「いいからいいから!」
テンションが高い。どうせ慰めようと思ってばかげた質問をしてくれたのだろう。だとしたら、きっと笑いを取ろうとしてくる。気分じゃないが、優しさは嬉しいし、乗ってみよう。
「眠くないから遊びたいとか、そんな感じっすか」
「残念!」
「どうでもいいけど、じゃあ、答えは?」
尋ねると、いたずらっぽい笑みは途端に砂糖を溶かしたような甘ったるいものに変わった。それにどきりとする。こんな微笑みを向けられていいようなやつじゃないのに、俺はそんなこともふっ飛ばしてただただ先輩に見とれてしまった。
「木戸のこと好きだなあって考えてた」
可哀想な先輩は俺をまっすぐに見つめて、少しだけ恥ずかしそうに、死にたくなるくらいの幸せをくれた。
「なあ、キスしていい?」
「……あんたさあ、なんで」
なんで俺なんか好きなんですか。
ふいに出そうになった言葉。全て言い切る前に言っちゃだめだと気がついてよかった。
先輩がとろけるように笑って、くちづけてくる。それをぼんやりと見つめながら大人しく受け入れた。あたたかな感触は性的なものを喚起させることはなかった。
触れ合っている一部分から体の中全体に何かが広がっていく。俺のことを好きだというおかしな先輩が、彼の全てで俺を肯定してくる。
なんとなく目を閉じてみた。そうしたら、それまでの自虐的な気持ちがすべてどこかへ飛んでいってしまい、なんとなく幸せになった。
――恭弥くん、おれといっしょにいて。
懐かしい、幼い声を思い出した。本当はわかっている。レイちゃんが俺と離れたくなかったことくらい、知っていた。
この人は俺を独りにしないかな。
もしも俺のためにという理由で離れていくことがあるなら、その時は殺して欲しい。自分で死ぬのは嫌だ。だって、それは一人ぼっちで悲しいから。
先輩が殺してくれるなら、俺は死んでからも永遠に先輩のものになれる。
顔が離れる。
「……俺、ちょっと落ち込んでるんですけど」
「だろうな。なんかいつもと違うよ」
「お願い、1個聞いてもらっても良いですか」
「いいよ、聞いてやる」
「お、俺のためならなんでもできるって、言ってみてくれませんか」
「うん」
さすがに恥ずかしく、正面から顔を見られなくて視線を外した。
「木戸」
「はい」
「俺、木戸が好きだよ。俺のこと好きになってくれてありがと」
驚いて思わず外していた視線を先輩に戻すと、彼はやはり笑っていた。あたたかく、やさしく、今の声と同じように、穏やかに。
「……せ、せりふ、違う」
「言葉は内容じゃねえんだよ。ほら、伝わるもの、あっただろ」
ふ、と大人っぽく笑った先輩の胸に顔を埋める。好きだ、大好きだ。好きになってくれてよかった。なぜか、泣けてくる。
先輩のあたたかさの中で、今夜はよく眠れる気がした。