早寝記録

気球

 重苦しい空気の中で、俺はここにいたらいけないんだと直感的に思った。
 そして、追い出されるな、とも思った。
 でも、俺は父さんが好きだし、父さんにも捨てられたら俺に家族はいなくなってしまう。
 妹も弟も俺の家族じゃなくて父さんの家族だし、新しく父さんの奥さんになった女は実際に「四人家族」と言った。 
 そんな女のことはどうでも良かったが、父さんに捨てられるのだけは避けたかった。
 優しくしてくれなくてもいいけど、なんとしても避けたかった。
 父さんも父さんの女もニセ妹もニセ弟も、他のやつらだって一様に俺のことを変だと言う。変わってるって。理解できないとも言われた。

 俺は、眉をひそめる父さんを見て、普通になろうと思った。
 周りの人を観察して、話していることに聞き耳を立てて、「普通」を取り入れていく。
 彼らは昨日何があったとか、何が好きだとか、恋の話とかしかしなかった。
 つまらないやつらだと思ったが、つまらないと感じる俺が変なのだろう。
 だから俺は頑張ってつまらない話をした。
 そうしたら、ニセ妹に「蓮は表情がないから不気味」と言われた。
 呼び捨てにするな、と怒りたかったが、この家では俺がピラミッドの最下層だから言えなかった。

 しかし、そうか。俺には表情がなかったのか。
 そう思い鏡に自分を映してみた。
 無表情だった。
 愕然として、口角を上げ、笑顔の形を作る。
 不自然だけど笑えていた。
 けど、「不自然」は「普通」じゃない。
 だからだめだ。

 どう頑張っても俺は普通の子どもになれなかった。
 中学に入る頃、全寮制の学校に入れられた。その時に父さんの女から気味の悪い笑顔と「お金の心配はしないでね」という言葉をもらった。
 帰って来るなということだ。お金の心配「は」だから。
 だから俺はもういいや、と思って家族の存在を自分の中から抹消することにした。

 なのに――

「恭弥君、今回もお願いね」

 俺は父さんに気に入られたくて、今も試作品の実験台になんかなっている。
 しかも、かわいい後輩を道連れに。
 リビングからもれる明かりのみで照らされた部屋の中、恭弥くんは俺のベッドの上に散乱している忌々しい道具たちを苦々しげに見下ろした。

「『わくてか★SMセット~ハードにきめて~』だっけ?」
「わくわくだよ。……やっぱり自分だけじゃわかんなくて」
「……嫌な思いしてまで褒められなくてもいいんじゃねえの?」

 「玩具」の一つを手に取り、呆れたように言う恭弥君は優しい。頼む時は嫌がるが、いつも呆れながらばかな俺の心配をしてくれている。
 だから、俺は恭弥君の邪魔はしたくないのだけれど――

「あのさ」
「何ですか?」
「恭弥君、進藤のこと好きなの?」
「べ、別に好きじゃないですけど。橘さんまでなに言ってんの」

 もしも恭弥君が進藤のことを好きだったら俺はとてつもなく最低なことをしている気がするから、ちゃんと確認する。
 けど、恭弥君は進藤のことを別に好きじゃないらしい。俺から見たら恭弥君は進藤のことを好きだと思うが、俺は人の気持ちに疎いから、きっと本当に好きじゃないんだろう。
 また外れちゃったな、と少し残念に思った。

「俺のわがままだから、本気で嫌だったら強く言って。言ってくれないとわからないから。俺いつも恩着せがましく言って強要してるけど、嫌われたいわけじゃない」
「……わかってますよ」

 恭弥君はそう言ってため息を吐いた。
 恭弥君は優しいから、いつも俺の言うことを聞いてくれる。
 それにいつも悪いな、甘えちゃいけないと思うけど、言うことを聞いてくれるのが嬉しくてつい無理を言ってしまう。
 でも、俺は「友達」とかわいい「後輩」の邪魔はしたくない。

「本当に、進藤のこと好きだったらしなくていいから」
「別に好きじゃないし! あ。ていうか、橘さん俺と付き合う予定あるんですか? 俺はないけど」

 恭弥君にそう言われて、俺はまた残念に思った。

「……冗談だったんだけど。やっぱり伝わってなかったみたいだね」
「橘さん、何言うにも真顔なんだもん。笑ったとこ見たことない」
「ごめんね」
「謝んないで下さいよ」

 恭弥君は持っていた玩具を投げ捨てて、暗がりで立ち尽くす俺に近づき、頭を撫でてくれた。
 気持ちを入れてこんなことをされた経験は今までになく、丁度胸のあたりがじんわりと暖かくなる。
 なんか変だな、と思いつつ目を閉じた。

「子どもをこき使う親父なんかこっちから捨てちまえば良いんです」
「……一度」
「なんですか?」
「一回こうやって撫でられたら、あんたなんてもういらないって言おうかな」

 自然と、息がこぼれた。

「なんだ」

 恭弥君が笑った。

「橘さん、笑えるじゃないですか」

 恭弥君は、「まあ、自嘲だったけど」と言ってまた俺の頭を撫でた。