元生徒会
「杉原先輩いますか?」
後ろ側のドアから教室内を覗きこみ、海部が投げかける。
3年1組が騒然となった。海部はカリスマ揃いの3年生の中でも際立つ存在みたいで、なんだか誇らしい。
海部の後ろから教室内を見ると、正面奥、窓際の一番後ろに目当ての人物が見えた。机に突っ伏して眠っているようだ。
「今日は朝からああやって寝てるからさ、結構機嫌悪いみたいだよ。だから、出直したほうが良い」
近くの眼鏡が教えてくれる。
「どうも」
海部が礼を言い、後ろの俺に視線をくれる。「どうする?」と尋ねているようだ。
元副会長――杉原先輩は危険極まりないほどの気分屋だ。機嫌が良い時に来たほうが絶対に良い。出直そう、と言おうとした時だった。
「鏡」
蕩けそうなほどの甘ったるい声に、背筋に悪寒が走る。周囲の生徒が黙った。3年1組と廊下の音が完全になくなる。聴覚を奪われたようだった。俺はまるでホラー映画の主人公にでもなったように後ろを振り向いた。
「せ、先輩……」
「やあ、久しぶり」
そこには、誰もが見惚れる笑みを浮かべた学園の神様――首藤先輩がいた。
「おれ、海部は無視するからね」
にこやかに先輩が言う。
「だって、人気は合格点だけど、威厳がない。創立以来一番の平和な生徒会って有名じゃないか。だめだよ、生徒会が手の届く位置に来ちゃ。手を伸ばしても届かないのが星なんだから」
「無視してないですよ、会長」
「あは。自分が会長なんだから、もうおれを会長って呼んじゃだめだよ。偉そうにしてないと」
目が力強く光っているから、海部が首藤先輩を会長と呼んだのはわざとだ。
海部と首藤先輩が対峙する。俺たちの生徒会は様々な伝統から外れている。真面目で、風紀委員と協力的であり、普通に仲が良く、出れる授業はちゃんと出る。そして、前生徒会と仲が悪い。
首藤先輩に背中を向けるのが怖くて、俺は海部と先輩の狭間で、ずっと先輩の顔を見上げていた。
空気がピンと張り詰めており、今にも弾けそうだ。
「静かすぎて耳がいてえ」
「あ、杉原。おはよ」
首藤先輩がさらに笑みを深くする。
最悪のタイミングで最悪の人物が起きてしまった。首藤先輩と杉原先輩が組むと碌なことが起こらない。これは中等部の頃から一貫して変わらない事実だった。
中学生の頃、俺は首藤先輩に無理やり図書委員会の補佐をやらされていたことがある。俺たちの学校の委員長は異常に忙しいから一人だけ補佐をつけることが出来るのだ。
彼は俺のダイエットに一役買ってくれた功績者でもある。過労で倒れたことは一度や二度ではない。
「俺たち、杉原先輩に用があって来たんですよ。ちょっとお時間もらえますか?」
海部が首藤先輩に背を向けた。先輩は相変わらず微笑んでいるが、彼は表情を自在に操れる。どんなに腸が煮えくり返っている時だってまるで本物の笑みを浮かべられる人だ。
勝手に先輩の胸中を想像して俺は恐ろしくなった。
しかも、呼んでいないのに先輩は俺たちの後を付いてきた。いや、正確には俺たちの、ではなく海部と杉原先輩の――だ。
俺だって海部と杉原先輩の後ろをついていってるのだから。
「写真を撮らせて欲しいんですよ」
生徒会室応接スペースに場所を移し、座った途端に海部が切り出す。俺はとりあえず紅茶の用意をするため、三人の様子を来にしながら給茶室に入った。
応接スペースの隣にある給茶室は、ドアを開けっ放しにしておくとしっかりと会話が聞こえる。
「写」
「写真? どういう意味かな? それは」
杉原先輩の言葉を遮り、首藤先輩が海部に向き合う。
杉原先輩の機嫌はどうやら悪くないらしく、首藤先輩に無残に話を遮られても、にやりと笑うだけだった。きっといらだちよりもふたりのいさかいの方がおもしろいのだろう。
海部と首藤先輩はとにかく仲が悪い。海部が外部生として高等部に来た時からの犬猿の仲だ。外部生は非常に少なく、俺たちの代は五人だけだった。
生徒会の初仕事は外部生へのオリエンテーション。そこで、まあ、色々あったらしい。
「これ、見てください」
こだわりのやかんでお湯をわかしながら、ちらちらと三人の様子を伺う。
海部が机の上に出したのは、いつ用意したのか、写真部が破滅するきっかけとなったあの校内新聞だった。
「お。懐かしいねえ。まだ半年も経ってないけどさ」
「……海部よ」
杉原先輩の声は、地を這うように低く、怒りに満ちていた。
「最後に掲載されたのがこれって、格好悪くないっすか?」
しかし海部は平然としている。
「今更って言われても仕方ないですけど、俺たち昨日知ったんで。写真部が憤ってること」
穏やかに、口を挟ませずに海部が続ける。
「構図、表現方法、シャッターの切り方……こんなのまで見ただけでわかるのかは知らねえけど、この写真は駄作だって。これを写真部が撮ったなんて思われてることが腹立たしくて仕方ないって話でした」
「誰が撮ったって関係ねえ。そんなのは問題じゃねえんだ」
「けど、これに関しては――」
「首藤先輩! ちょっと手伝ってください!」
首藤先輩が余計なことを言う気がして、俺は惚けたふりをしてドアから顔を出した。
「何? 鏡」
ひどく愉しそうな笑みを浮かべ、先輩が立ち上がる。
――鬼が来る。
しかし、3人にさせておいたら絶対に首藤先輩は海部の邪魔をする。絶対だ。でも、彼の意識を俺に向けさせることができたら俺たちの計画は成功する。
首藤先輩はただ海部の邪魔をしたいだけだし、それ以上に興味の惹かれることができたらそっちに行く。
先輩も杉原先輩も海部も、俺の意図がわかっただろう。わかった上で首藤先輩は席を立った。
先輩が給茶室に入り、しっかりとドアを閉めた。ちょうど湯が湧いた。
「海部に引き止められると思ったんだけどな」
閉めてそうそう先輩がぼそっと呟く。
「引き止めるって……?」
「はは。やっぱ健在だね。可愛さ変わってない」
「……何を言ってるんですか」
「けど、前よりもすらすら言葉が出てきてる」
ニッコリと笑って先輩が手を伸ばしてくる。自然と身構えた俺をよそに、彼の手は俺を越え、後ろにあるコンロへと伸びた。火が止められる。
「湧いたね。紅茶かな? 鏡の紅茶、すごく美味しいもんね」
「……あの」
「ん?」
小首をかしげ、先輩が微笑む。チョコレートの海に飛び込んだかのような甘さが俺を襲う。どうしよう。とりあえず、海部が杉原先輩に話をつけるまでは出したくないが、その術がわからない。
「こ、紅茶淹れます」
「良いよ。あとで」
「ふ、沸騰直後じゃないとおいしく――」
「別に、おれ、そんなに高貴な舌してないから」
「うそだ……」
「本当」
先輩がくすくすと笑う。
「ねえ、鏡……」
「なんですか!」
やばいと思った。先輩はすっかり俺で遊ぶモードに入っている。コンロを止めた先輩の手は、自らの元へ戻らず寄り道をする。そっと頬に手が添えられた。
先輩を海部たちのところへ戻したくないけど、このままだったらこの人は何かえっちいことをしてくる。中学生の時よく遊ばれた。高等部に上がって、海部とクラスが同じになってほとんどの時間を一緒に過ごすようになってからはなんとか回避できているが……。
そういえば、高等部に上がってからふたりきりになったことがない。いつも誰か――海部か谷中が傍にいた。去年は谷中も同じクラスだったから。
「おれは、なんでも無理矢理は嫌いなんだ」
「うそだ」
「はは。本当だよ。ねえ、写真部の無実を証明したいって、こう思ってるんでしょ?」
「へ」
「違うの?」
どう答えよう。肯定していいのか? いいか。だって、じゃなければ杉原先輩は俺たちに呼ばれていない。
「そうです」
「ねえ、おれがやってあげようか?」
首藤先輩は俺の耳元に顔を近づけ、そっとささやいた。