早寝記録

ラブレター(後)

 春休み3日目、小学校を卒業した俺は、暇を持て余し裏山にある小さな公園に来ていた。
 そこには鏡のヒーロー、恭弥が大荷物を抱えてブランコに座っていた。

「恭弥じゃんか」

 声をかけると、彼はずいぶんと暗い表情で顔を上げた。

「どーも」
「なに、暗い顔して」
「別に。おれ、今から寮に行くんだ」
「もう? はやくね?」
「……卒業したし。リュウキおれがここにいることさ、絶対にトウマには言うなよ」
「なんで?」
「おれ、家族とけんかして出てきたんだ。だから見つかったらめんどくさい」
「じゃあ寮に行けないじゃん」
「大丈夫。迎えが来るんだよ」
「迎え? 戸田さん?」
「そう。戸田さん、場所も何も知らないけど、たぶん一番最初に見つけてくれる」

 恭弥の言葉を受けて想像するのは、すごく格好良い木戸家の運転手さんだ。実際は運転手さんではないらしいが、恭弥のことを溺愛していて、彼の行きたそうなところに日本全国どこへでも連れて行っているとトウマが言っていたことがある。

「急に行く事になったわけ?」
「まあね。本当はもうちょっとあとだった。けど、まあ荷造りしてたから良いかなって思って」
「へー。……鏡は来んの?」
「は?」
「ここにぽつんといるから」
「……レイちゃんは来ないよ。おれ、戸田さんを待ってるだけ」
「そうなの? 当分鏡とお別れじゃねーの」
「お別れだよ。……リュウキ、レイちゃんに会ったら、これわたして」

 そう言って恭弥は持っていたリュックから一通の封筒を取り出した。

「手紙。そこで書いたから砂ついてるかもしれないけど」
「……自分でわたせば?」
「あんまり会わないほうがいいんだ」
「なんで?」
「おとなの事情ってやつだよ」

 恭弥がうんざりとため息をつく。

「おとなってめんどくせえ。あーあ、おれが怪獣とかだったら絶対レイちゃんち踏み潰す。レイちゃんは手のひらに乗せて」

 恭弥が地面をける。
 そういえば、前にトウマから聞いたことがあった。
 彼らの家は代々ある会社の秘書をしているが、その会社とレイちゃんの家の会社がライバル同士で、もう犬猿の仲。とにかく仲が悪いらしい。まるでロミオとジュリエットだ。
 残念ながら、ハッピーエンドはやって来ない。

「あ。堂々とがだめなら、こっそり会えばいいじゃん」

 言うと、恭弥の顔がゆがんだ。
 俺は、これほどおどろいたことがないと思う。

 恭弥は泣いていた。自分でもびっくりしたのか、らんぼうに目元をうででぬぐうが、涙は彼の意思とは関係なしに次々と流れ出ていた。

「だっせえ、おれ」

 急に泣き出した恭弥を前にしておれはどうして良いかわからず、彼の背中に手を当ててゆっくりとさする。
 冷たい背中をてのひらに感じ、どうにかあたたまれと念じながらさすった。

「レイちゃん、卒業式の日に、ずっと迷惑かけてごめんねって言ったんだ。6年間を、ごめんねでかたづけた」
「うん」
「おれに迷惑かけたくないから、レイちゃんはすんなりおれからはなれるんだ。さよならだよ」
「……べつに」
「そうだよ。レイちゃんの親、おれんちのことすっごい嫌ってて、レイちゃんにも進学先言ってないんだよ。レイちゃんもしょうがないって思ってる。中学校離れるってわかったとき、レイちゃん、はなれたらおれに友達たくさんできるねって言ったんだ」
「恭弥」
「レイちゃん、おれの気持ちなんにも考えてない。おれ、レイちゃんといっしょにいたいのに」
「鏡はそのこと知ってんの?」
「そのことって?」
「ええと、おとなの事情とか、恭弥の気持ちとか」

 俺が聞くと、恭弥はやけにおとなっぽく「知らないほうがいいこともあるんだよ」と言った。

「……レイちゃん、かわいくなった」
「うん。そうだね」
「まだちょっとぽっちゃりしてるけど、外見でいじめられることはもうないと思う」
「うん」
「性格だって、気弱だけど、いっしょうけんめいで、優しい」
「そうなんだろうね」
「中学行ったら、きっと友だちたくさん……とは言わなくても、ちゃんと作れる」
「うん」

 恭弥の目にまた涙が浮かぶ。

「おれ、もう帰ってこない」

 そしてふるえる声で決意を言葉にした。

「帰ってきても、おとなになるまでレイちゃんとは会わない」
「……恭弥」

 俺はこの時初めて「助けてやりたい」と思った。
 ずっとことなかれ主義で、問題とか面倒事をことごとく回避してきたけど、泣く恭弥を見て守ってやりたいと思ったのだ。
 この感情の名前はわからなかったけれど、俺はどうにか恭弥を安心させたかった。

「俺、高校生になったら鏡と同じ学校行くよ」
「え?」
「決まってるから」

 口から出まかせだったが、中学校は地元で、高校になったら寮に入ることは決まっていた。学校選びはこれからだったけど、厳しいところであれば日本全国どこでも良いと言われた。

「だから、大人になるまで恭弥がついてやれないんだったら、俺がこっそり見てる。中学校は無理だけど」
「ほんと?」

 恭弥がすがるように言う。

「ほんと。もし鏡に中学校で友だちできてなくても、高校で俺が友だちになる。なってくれるかわかんないけど、一番の友だちになれるようにがんばるから」

 本当かうそかはかりかねているのかもしれないが、恭弥は少し間をおいて、小さくうなずいた。

「レイちゃん、リュウキを見て、いっつも中心にいるねって言ったことがあった」
「中心?」
「円だとしたら、真ん中にいるって。レイちゃん語だよ。通訳すると、キラキラしてて、人がだまってても集まってくるねってこと」
「……レイちゃん語難解だね」

 恭弥が笑う。

「そのあと、レイちゃん、俺たちは円周にもいないって言った。ずっとはなれたところで交われないで見てるだけ」
「俺、全然たいしたやつじゃねーのに」
「リュウキが友だちになったら、レイちゃんすっごい喜ぶよ」
「そうかな」
「そうだよ」
「だったらいいけど」

 話している内に、恭弥の涙は引っ込んでいた。
 それから戸田さんが来るまで、おれたちはとりとめのない話をして過ごした。


 数年経って思うことは、恭弥の不安。
 鏡が自分の進学先を知らされていないことを彼は知っていたんだし、俺が口から出まかせを言っていると気づいていただろう。でも、それを知りながらも縋ってしまうほど、彼は寂しく、そして不安だったのだ。

 今でもたまに思い出す、最後に見た戸田さんと並んで公園から出ていく恭弥の背中が、俺には泣いているように見えた。