早寝記録

パンツ

 鏡とは「偶然」が多くある。
 早起きをしたからなんとなく生徒会室に行ったら偶然鏡も早起きしていて生徒会室にいたりとか、休日に引くほど広い図書館で偶然会ったりとか。

 今日もそんな偶然が起こる日だったのだ。

「鏡!」

 早起きをして、なんとなしに生徒会室へ行こうと玄関に出た時だった。
 自分の部屋の前で倒れている鏡の姿が目に入った。
 慌てて駆け寄り抱き起こすと、真っ赤な顔をした鏡がそっと目を開けた。

「大丈夫か!? 死ぬのか!?」

 自分でも何を言っているかわからなかったが鏡が一言「風邪」と呟いた。

「風邪か! 救急車」
「医務室……」

 そこでまた鏡が目をつぶる。
 鏡の体は熱く、まるであの日の熱を持った砂のようだった。
 熱を感じると同時に落ち着きを取り戻す。そういえば、一昨日鏡は上半身裸で朝まで寝たのだ。6月といえど山奥だし朝方はやはり冷える。そりゃ風邪も引くだろう。

 ……完全に俺のせいだ。

 とりあえず、鏡を抱き上げて自室へと連れ帰り、ベッドへと寝かせた。
 そして寮の医務室へ連絡し、看護師を呼ぶ。
 あまり呼びたくはない男だが、仕事はできるから背に腹は代えられない。
 俺は水枕を用意しながらその男――瀬戸を待った。





「おっけー」
「おっけーって……」

 鏡を見て色々体温だとか血圧だとかを測った瀬戸がゆるく笑う。この男はいつもヘラヘラしている。そのくせここぞという時に真剣な表情で迫ってくるからたちが悪い。

「風邪だね。とりあえずあったかくして。それで、いっぱい食べて、寝てれば治る、風邪だから。はい、市販薬置いてくね。とりあえず3日分。あとは海部くんよろ~」
「は。え、つうか、大丈夫なの? なんかはあはあ言ってるけど」
「39℃あるけど、大丈夫」
「え。39℃って」
「じゃあねー。困ったらメールよろ~」

 それだけ言って瀬戸は消えた。いっぱい食べて、寝てれば治る、風邪だから――というなにかの標語のようなアドバイスを残して。

 瀬戸が消えてから、机の椅子をベッドサイドに置き、そこに座る。

「と、その前に着替えか……」

 制服を着たままの鏡を楽な格好にしようと、布団を剥いで、次に制服を脱がせていく。なんだかいけないことをしている気持ちになるが、鏡はただの男友達だと自分に暗示をかけることに成功する。
 しかし、制服を脱がせたところで問題が発生した。
 これは、いけない。下着まで濡れている……。

 下着姿になった鏡を見下ろす。苦しそうなのが幸いしてさほど変な気持ちにはならない。


 ふぅ、と長く息を吐く。
 汗ばんだ体を拭くためのタオルも用意した。洗面器にあっつあつのお湯も用意した。あとは脱がせて拭いて新しい衣服を着せるだけだ。脱がせたって自分と同じような体なんだから、照れることはない。

 よし、行こう。
 俺は今何をしてる? 愚問。看病だ!

 相手は病人。そう念じ、優しくシャツをまくり上げる。白い肌にふたつの――ばかか、龍騎、今は卑猥な感想を述べてる場合じゃない。ばかじゃないのか。ああ、俺はばかだ。

 たどたどしくはあるが、痛くないようにと心がけてシャツを完全に脱がせた。鏡の目がうっすらと開き、俺を捕まえる。

「かいふ……」
「鏡、熱高いんだってよ」

 平静を保ちつつ、鏡の額に手を乗せると、鏡がうっとりと目を細めた。

「……冷たい」

 俺の手は決して冷たくはないが、鏡の額が熱すぎるのだろう。できるだけ安心させたくて、いつもよりゆっくり、穏やかに話す。

「汗かいてるから、拭くけど、その前に自分でパンツ履き替えてくんねえ?」
「パンツ……」
「ああ、パンツ」
「うん……」

 鏡が緩慢に頷き、自身のパンツを下ろそうとする。いや、待て鏡。意識が朦朧としているのはわかる。39℃も熱あるし。けど大胆すぎやしねえか。

「あ」

 半分下ろしたところで、鏡が俺を見上げる。熱のせいで目は潤んでいる。一糸まとわぬ姿よりも、半端に付いている方がそそることを知った。

「おれの着替え、タンス」
「俺ので良いならやる」
「ん?」
「どうした?」
「へや」
「俺の部屋だよ」

 そうだパンツを取りに行けば良い。そうすればこの目に毒な鏡から意識をそらせる。だけど、もしかしたらこれが鏡の素肌に触れる絶好のチャンスかも……。
 だって、どうせ付き合えないんだし、もしも付き合えるときは何年もあとだ。

 いやいやいやいや。黙れ俺の思考。こんな苦しそうな鏡見てよくも盛れるなまじで俺死ねばいいのに。ほんとゴミ虫じゃねえか。鏡がここで熱出してなかったら鏡を呼んでぶっ殺してもらいたい。

「海部、ごめん」

 アホなことを真剣に考えていると背中に鏡の弱々しい声が届いた。振り向くと、脱いだパンツで大事なところを隠してはいるが素っ裸になった鏡がベッドに肘をついて起き上がろうとしていた。
 目に毒すぎる。再び俺はタンスと仲良く向き合った。

「いいっていいって何謝ってるんだよほらパンツやる。これ多分一回も履いてねえから安心して履け。ああ、履く前にタオル何枚か用意したからそれで汗を拭いてから履けよ。風邪引いちゃうからな」

 目の前のタンスにでこを付け、後ろに取り出したパンツを放り投げる。

「……もう引いてる」
「そうだな。忘れてたぜ」
「……海部」
「なんだよ」
「……パンツ、ありがと」
「いいっていいって。こういうときはお互い様だろうが」
「ごめん……届いてないんだ」
「えっ」

 思わず振り向くと、全裸の鏡がベッドから身を乗り出して床に落ちた俺のパンツに向かって必死に手を伸ばしているところだった。

「わ、悪い」

 パンツを拾い、鏡に渡す。
 起き上がった鏡はさっきよりもつらそうに肩で息をしていた。ゆっくりと俺に背を向けて手渡したパンツを履く様をじっと見る。ゆっくりゆっくり彼は着替えた。

「他はやってやるよ」

 鏡を見て、俺は心の底から反省していた。こんなに苦しがっているのに、俺は一人で照れながらただただテンパっていた。

 俺もベッドに上がり、鏡の体を抱き起こして自分の体にもたれかからせる。
 それから湯で濡らしたタオルで、丁寧に体を拭いていく。

「気持ちいい……」

 鏡がつぶやく。もう変な気は起こらない。
 懺悔の気持ちと、早く良くなれという願いが俺の中を満たしていた。