早寝記録

副会長だから

 鏡が眠ったのを確認して、俺は部屋から出た。
 向かう先は生徒会室だ。
 生徒会役員に任命された時、みんなで方向性を決めた。
 その中の一つができる限り授業に参加すること。

 この学校の生徒会は普通じゃない。
 教師が入ったほうが良いと感じることでも俺たちに全ての決定権があったりする。
 中学の時俺は生徒会長と仲が良かったが、中学の生徒会は与えられたことをこなすことが多かった。

 だけどこの学校じゃ俺達の采配ひとつ学生生活が良い方にも悪い方にも簡単に変わってしまう。
 会長なんて役職にはなりたくてなったわけじゃないが、任命されてしまったからには責任がつきまとう。
 だから一応真面目に学校のことを考えないといけないだろう。

 鏡は風邪で寝ている。
 今頃谷中と白石は授業を受けているはずだ。

 そう思い、ポケットに手を突っ込んで生徒会室の鍵を取り出す。

「ん?」

 生徒会室の扉に鍵を差し込み解錠しようとしたが、逆に閉まった音がした。試しに扉に手をかけ開こうとするが開かない。やはり鍵はかかっていなかった。こんどこそ鍵を開け、生徒会室の中に入る。

 中は無人ではなかった。

「あ、海部」

 穏やかに俺の名を呼び微笑むのは副会長の谷中だ。
 彼は自分の席に座っており、俺に気づくと優雅な手つきでティーカップを口に運んだ。
 谷中とは中学時代に知り合った。彼は童話に出てくる王子様のような品のある顔立ちをしているが、当時はかなり荒れていた。中学時代に会長だった男がよく世話を焼いていたが、彼は会長と出会わなければきっと今頃この世にいないだろう。

 それほど彼は危ないことをしていた。
 命を使ってゲームを楽しんでいる感じだった。今思い起こせば彼は中二病患者だったと笑えるが、当時は全く笑えなかった。

 思い出したら、なんだか感慨深さが湧いてきた。

「何変な顔してんの?」
「いや、別に」
「あ、そ」

 それ以上は言わずに自分の席でパソコンをいじっている谷中の後ろを通り、自分の席につく。

「看病してていいのに」

 谷中が言う。

「体育委員会からちゃんと紙来てたよ。今処理中」

 そう言って谷中が自分の机に積み上げた紙の束を持ち上げ、俺に見せてくる。彼がここにいるのは俺のサポートをするためだったようだ。

「一応副会長だからね。会長のサポート係なんでしょ、俺」
「谷中」
「間違えた。僕だ。一人称が中々うまくいかないんだよね」

 谷中がわざとらしく肩を竦める。

「俺でいいんじゃねーの」
「いいや。優等生はやっぱり僕じゃなきゃ」
「あ、そ」
「けど、今日はま、いっか」

 俺は谷中のパソコン画面を覗くために、椅子をズラして彼のそばに寄った。

「全クラス、メンバーが決まったから種目ごとで表にしてる。途中だけどね」
「半分やるよ。鏡が寝てるから、どうせ3人ででやろうと思ってたしさ」
「生徒の数すごい多いもんな。改めてだけど」

 そう言って谷中が微笑む。

「……クソつまんない作業だけど、楽しい」

 そしてぽつりと呟いた。

「つまんないんじゃねーの」
「言葉の裏に隠された真意というものをもう少し読んでくださいよ」

 谷中が苦笑する。
 ああは言ったものの、俺は彼の真意をもちろんわかっているつもりだ。彼は過去と対比しているのだ。きっと平和な今に満足しているのだろう。教室にいる時も、寮にいる時も、生徒会メンバーでいる時も谷中は楽しそうに笑っている。

 だからこそ俺は矢野の転入初日何を見られたか不思議だった。
 猫かぶり、というよりは過去の悪魔のような谷中はなりを潜め、今の穏やかな谷中が表に出てきているのだと思う。
 人は本質的には変わらないというのが俺の持論だ。
 変わらないが、何が表に出てくるかで変化したように見えるだけ。

「お前さ、矢野に何見られたの」

 答えてくれるかわからなかったが、とりあえず聞いてみる。

「猫がいたんだよ」

 谷中が言う。
 答えはもらったが、意図の読めないものだった。

「猫かよ」

 必死に想像力を働かせる。過去の谷中と猫とのエピソードがないか考えるが出てこない。

「猫。立ち振舞とかなんか色々会長に似ててね。転校生はいくら待っても一向に現れる気配ないし、つい話しかけちゃったんだよ」

 はは、と乾いた笑いを漏らしながら言う谷中は、しかし随分と懐かしんでいるように見えた。彼の言う会長とは中学の時の会長のことだろう。

「聞かれてたなんて思ってなかった。声だって潜めてた。会長は口も悪いし柄も悪かったけど、俺の愚痴を一晩中聞いてたな、と思ったらついつい日々の愚痴とか思いが口から出ちゃってね。夢中になっていたのも否定はしない」
「そっか」

 まさか猫に話していたところを見られていたとは俺も思わなかった。しかも会長を思い出したと言っていたからかなり真剣に話していたんだろう。恥ずかしいやつだ。

「満足して、やってこない転校生を探しに背中を向けた時だった」
「いたのか」
「いや……反対方向に歩いて行く背中を見つけたんだ」
「ああ」
「俺は追いかけて、尋ねた。もしかして、君が矢野くん? って。俺の一番の愛想笑いをしたよ」

 こんな感じ、と笑う谷中の顔面からは光が漏れ出ている――ような気がした。

「そうしたら矢野がすごい驚いたような顔をして、すごい猫かぶってんだなって、そう言ったんだ……」
「思わず言っちゃうだろうな」
「もう終わりだと思った。バラされたら優等生からまた不良に転落だって」

 思い出したのか、谷中が短くため息を吐く。

「……別に、猫被ってるわけじゃない。そりゃ言葉遣いには気をつけてるし違和感があるなって思うことも多いけどさ」
「知ってる。お前普通にいっつも楽しそうだから安心しろよ」

 俺の言葉に谷中は照れくさそうに微笑んだ。

「矢野は言うやつじゃなかったけど」
「だけど、もし矢野が言いふらしたって矢野よりお前の方が信用あっただろ。妄言だって他の生徒に言われて終わってた」
「うん。そうは思ったけど、いつか矢野は信用を得る。打算的なところがひとつもないから。だからその時に彼の言葉が本当だったってみんな気づくはずだよ。ああいうのは強いね」
「まあなあ」

 谷中はこういうが、実際俺はまだ矢野がどういうやつかわかっていなかった。悪いやつではないと思うが、まだ俺は矢野自身よりも彼と重なる恭弥を見ている。

 自分の席に椅子を戻し、ようやくパソコンを起動する。
 それから、種目ごとに各クラスで決められた生徒の名前をひたすら打っていくという苦行に近い作業を黙々と進めていく。
 鏡にこういうことをさせたら右に出るものはいないし、光と見まごうほど速く彼の指は動くが、今の鏡に頼ることはできないからなんとか俺達だけで数を減らさなければいけない。いくら得意とは言っても病み上がりにさせるのは酷だ。

 生徒会室にはカタカタとキーボードを打つ音と、どこから聞こえるのか、低い電子音だけが鳴っていた。

「海部さあ」

 数十分経ったところで、のんびりとした調子で谷中が切り出す。

「何」
「告白しちゃえば良いのに」
「誰に、何をだよ」

 手は止めずに問う。谷中でもあるまいし、俺には告白するべき罪はない。……鏡関連以外では。

「ヒメに、愛の告白を。決まってるじゃないか」
「ばかじゃねーの」

 谷中が手を止めて肩を鳴らす。ああ、凝った、と肩の次には首を鳴らすが、その様子に少し苛立った。俺の気持ちをかき乱そうとするには真剣味が足りない。

「俺はね、応援してるんだよ」
「ばかじゃねーの」
「中学の頃、ヒメの行った学校調べに必死になってさ。入ってからは仲良くなるのに必死になって。俺、実はずっと鏡のことお姫様みたいって思ってたんだよ。心のなかで姫って呼んでた」
「はあ?」
「男とは聞いてたけど、見たことはなかったから勝手に可愛い女の子で想像してた。でも高校入って実際に見ても、ま、お姫様みたいって感想は変わらなかったね」
「お姫様って……あいつ言うほど女っぽくねーじゃん。性別不詳なだけで」
「可愛いよ。ほら、イメージ的には策略で男装してる女の子って感じ? 俺の頭の中では今忍の里的な場所が浮かんでる」
「なんだよお前」

 呆れて、谷中を見る。

「ようやくこっち見た」

 すると、谷中が勝ち誇った笑みを浮かべた。

「なんなんだよお前」
「頑張ってここまでこぎつけたのに、矢野に盗られたら笑えないよ」
「まじで何なんだよお前」
「んな顔すんなって」

 谷中がとびきり楽しそうな笑い声を上げる。

「どんな顔だよ」
「すっげー不快な顔」
「だって不快だし。つーか言葉遣い悪くなってる」
「けど、本当に。応援してるんだよ、俺」

 そう言うと、谷中は俺の机からさっき自分で渡してきた書類を根こそぎ取っていった。

「なんだよ」
「もう1時間経った。あとは俺と白石……それに矢野にも手伝わせて放課後がんばるから、看病しておいで」

 そう言って谷中ががっちりと胸に書類を抱く。
 力でこいつに勝てないのはわかっている。

「……じゃ、頼んだ」

 それに、きっと今やっても打ち間違いばかりだろう。なんかやけに心が乱されてしまった。
 だから俺は大人しく谷中に託して鏡の元に戻ることにした。

 けど、最悪な気分は変わらない。

 谷中は恭弥と矢野が似ていることを知らない。恭弥のことは過去に話したことがあったが、今は頭にないだろう。

 それにも関わらずさっきの発言だ。
 矢野と鏡を見ていて鏡の心が矢野によって動かされていることに気付いたのだろう。

 俺がこのまま何もしなければやはりいつか矢野と鏡が付き合うかもしれない。
 矢野が鏡のことをどう思ってるかは知らないが、レイさんレイさんとなついている。

「ムカつくなぁ」

 ささくれだった気持ちをどうにか落ち着けようと、俺は戻ったら全力で看病をすることに決めた。