鏡の中の…
如月にもらったのは『鏡の中の…』という意味深なタイトルの本だ。
表紙は真っ黒で、灰色の文字で『鏡の中の…』というタイトルが書かれている。
一度、空を見上げた。
真っ青な空。積雲が天に向かって伸びている。
本に目を移し、すこしだけどきどきしながら表紙をめくる。
そこに描かれていたものは――
「ガチムチじゃねーか!」
筋肉と筋肉の愛の取っ組み合いだった。
いらつき、地面に本をぶん投げると、投げた拍子にガチムチが風に舞う。
「え?」
宙を漂うガチムチは薄っぺらの一枚の紙だった。
「あ……」
ガチムチが、そよ風に乗って校舎下へと消えて行く。一応手を伸ばしてみたもののもちろんひらり舞っていくガチムチに届くはずもない。
俺は、改めて『鏡の中の…』を手にとった。表紙をめくると、扉絵が出てきた。
「うわ…」
まるで鏡をデフォルメしたようなキャラクターが学生服を着てこちらを無表情に見ている。
俺は続きを読むために、ゆっくりとページを捲った。
*
机の上に如月からもらった実に低俗な本を置く。投げつけようか迷ったが、一応姿形は鏡にそっくりな子が主人公だ。たとえ誘い受けでも矢野とそっくりなキャラクターと最終的にくっついても俺っぽいのが散々な目に遭う当て馬でも、一応姿形は鏡にそっくりな子が主人公だ。
……だけど俺は明日如月に普通に接する自信がない。
「ああ、もうなんか気分わりぃ……」
ベッドを弱く蹴って鬱憤を晴らそうとするが、全く晴れずこの憤りの行き場を探す。だけど、いくら部屋の中を見回しても見つからない。
いつもなら鏡を呼んで隣に置くだけで穏やかな気持になれるが、今となりに置いたら襲ってしまう。
ただでさえ最近危ないってのに、よりにもよって矢野っぽいのとくっついた漫画を熟読したあとだ。
しかもほんとに最悪で作者が俺にウラミがあるんじゃないか、俺を知ってるんじゃないかというほど鏡と矢野を邪魔する当て馬キャラに俺は似ていた。
漫画になったら俺は絶対あんな感じだ。
まさかあれ、絵が得意な三春が描いたんじゃ……! と思ってインターネットで調べたが作者は10年前にデビューしたらしい。いくら三春でも7歳でBL漫画家デビューなどできるはずない。
「ああ、もううっぜえ……」
しかも濡れ場がなんかエロすぎて変な気分だ。もう誰でも良いから相手して欲しい。そんなことできるわけないけど、なんか欲求不満! 漫画一冊でこんなになるなんてなんか負けた気分だ。しかも如月に負けた気分だ! イライラする。本当にイライラする。
「ん?」
部屋に帰ってきた時にベッドに投げた携帯のランプが光っている。
確認すると、鏡からのメールだった。送信時刻は5分前、内容はひとこと「行っていい?」と書いてある。
少しためらって良いよ、と送る。
如月と矢野に罪があるだけで、鏡に罪はない。ただ可愛いだけだ。
心の準備をして、しっかりと気を落ち着けて鏡を迎えよう。大丈夫。龍騎、お前は忍耐強い男だ。そうだろう。1年前の秋だって――
――コンコン
早い!
ノックの音が聞こえ、すぐ立ち上がる。気を落ち着ける間もなく鏡は来たようでそれから間もなくして扉の開く音が聞こえた。
勝手に入って良いと言ってあるのに、それでもノックを欠かさないなんてなんだか好きだ。
リビングから玄関がある廊下へと続くドアを開けると、鏡が玄関の段差に座って靴を脱いでいるところだった。黒いTシャツに中等部のジャージを履いている。
「早かったな」
声を掛けると、鏡が振り向き「急いできたから」と笑った。
「別に用はないんだけど、良い?」
普段でもほとんど用事なんかなく来るのに、今日の鏡はごめんね、と笑う。
鏡は他の人の前ではあまり笑わないが、彼が笑うと真冬に花が咲いたような、それほどの暖かさがあたりにそよぐ。
返事はせずにおれはソファに座り、鏡を手招く。すると、鏡は嬉しそうにやってきた。
定位置に座り、彼は満足そうだった。俺の肩に頭を預けて、鏡は目を閉じた。形のいい双眸はゆるやかに曲線を描き目を開けている時とはまた違った魅力が生まれている。
けど――
鏡の右手を取り、考える。
確かに鏡は可愛い。子供と大人の境目の少年独自の儚さや美しさも持っていると思う。だけど、顔だけで言うとこの学校には可愛い顔をした子も綺麗な子も、格好いい男もたくさんいる。
女でいけば俺は年上の綺麗な人が好きだし、性別を抜きにしても鏡とはまず傾向が違う。
前に鏡がタイプだと言ったことがあるが、それは顔だけの話じゃない。
(……もう、だめかもしれない)
手にとった鏡の細っこい手をまじまじと見下ろす。
鏡が右手を動かし、指を絡めてきた。
体は密着している。心臓がおかしなほど大きな音で打っている。
幼き日の恭弥が鏡から完全に離れることを決意した日、俺も密かに決意した。
恭弥の代わりに鏡の一番の友だちになると決意したのだ。
だから俺は鏡に心許せる一番の友だちができるまでは絶対に自分から友だちを辞めない。
友だちになる資格は、一度も裏切らないこと。
俺は高校に入って鏡と出会ってからこれをいつも心に置いて過ごしてきた。裏を返せば、意識しないと裏切ってしまいそうになるから。
ぼろぼろになってまでレイちゃんと一緒にいることを選んだ恭弥を目の当たりにしてもなお離れればいいのに、と思ってしまう俺だから。
「鏡さあ、なんで俺の言うこと否定しないの?」
なんだか一気に気が抜けて、なんとなしに尋ねる。鏡が目を開けて俺を見る。質問の意図は多分わかっていない。だけど、なんて返すか気になり、俺はそのまま待った。
「……海部が、一番正しい」
小さな声で鏡が答える。ただ、答えたはいいものの、まだ答えを探している雰囲気がある。だけど、これも本心のひとつなのだろう。
「間違ってたらどうすんの?」
「それでも、海部が正しい」
「は?」
「数学とかだったら別だけど、俺、海部が決めることに間違いはないって思ってるから」
今度はしっかりとした口調で鏡が言う。
鏡は、こんな自信のない質問をする俺に呆れただろうか。格好悪いと思っただろうか。
「鏡さあ」
「何?」
少し不安げな表情で鏡が俺を見上げる。それを見てわずかにためらったが、意識とは半ば無関係に俺の口は動いていた。
「俺が、キス以上がしたいですって言ったらどうすんの?」
言ってから、意地悪な質問をしたと思った。けど、もう取り返せない。
それにたぶん無理やり押し倒したら彼は俺を受け入れるだろう。だけど、前もって聞いたら、果たしてどんな反応を見せるのだろうか。申し訳なく思う以上にこれが気になっている。
「しようって言うよ」
鏡は俺の様々な予想に反し、迷う素振りも見せずに即答した。