始まり
「しようって言うよ」
心臓がはち切れそうだった。死にそうなくらいにドキドキしている。引かれたらどうしよう、嫌われたらどうしようと考えるが、もう言ってしまった。
海部は驚いたように静止している。けど、まあ、そりゃ驚くだろうなと思う。
普段の俺からは想像できないような、自分でも驚くくらいはっきりとした口調で俺は言ったのだ。明確な意思があった。今更恥ずかしくなったからって言い逃れは出来ない。
しかし、俺よりも海部の方が重症に見えた。
だって、彼は壊れたねじ巻き式のおもちゃみたいに微動だにしないのだ。海部のネジを探すために俺は自らの手を彼の背に回した。熱を帯びた人間の背には、当たり前だけどネジなんて付いていない。
「びっくりした」
しばらくの間をおいて海部が言った。
キス以上がしたいって言わないの? と卑しい娼婦のような言葉は口から出せなかった。
けれど俺は確かに言って欲しいと願っている。そしてそれを俺は気付きたくもないのに気づいてしまっているのだ。
元会長と会ってから、ずっと海部のことばかり考えていた。俺は、初めてと言っていいほど自分の気持ちを真剣に考えた。人がどう思うかじゃなくて、自分がどうしたいのかを。
(もし、前にこう考えられてたら、きっと今俺の隣に恭弥君がいる……)
勘当されてもかまわないくらいの心で親と戦ったら、俺は恭弥君と同じ学校に行けた。自分の存在が彼の邪魔になっているのだとばかり考えなかったら良かった。俺はずっと恭弥君と一緒にいたかったのだから。そして、この考えから俺は今も抜け出せないでいる。
今は音信不通の状態だが、連絡を取ろうと思えばいつでも取れるのだ。
俺は恭弥君の実家を知っている。電話番号だってしっかりと覚えてる。恭弥君の家族なら俺のところと違って快く俺に接してくれるだろう。きっと聞けば恭弥君の連絡先だって教えてくれるはずだ。
それなのにそれをしないのはただ単に逃げているから。「俺は弱虫だ」という言い訳を盾にしてずっと逃げ回っている。
俺は、海部のことを手に入れたいと思う。だから前と同じように逃げてちゃダメだ。俺が逃げたら、大事にしたいものが俺から逃げていってしまう。
俺は恋がどういう感情かわからない。けれど、もし恋が嫉妬と所有欲で成り立っているのなら、俺はどうしようもないほど海部に恋をしている。
海部を見上げる。
海部は困ったような曖昧な表情をしていたが、俺と目が合い小さく微笑んでくれた。すごく格好良い。顔の造りももちろんだけど、そうじゃない。恋かはわからないけれど、海部の全てに俺は惚れている。多分自分でも驚くくらい憧れているのだ。
俺の大好きな海部を見上げながらなんて言おうか考える。
全く論理的には考えられなかった。どうすればいいのかが見えてこない。だけど、このまま黙っているのもいけないことだ。
「困らせちゃったね」
しばらく悩んだ末、俺はなんてことない会話にひとまず逃げた。海部を手に入れたいし逃げちゃいけないけど、押し付けるだけじゃダメだ。
ふと、薄暗い気持ちが胸の奥からせり上がってきた。
(だめだ)
それを必死で押し戻す。俺なんか……という卑屈な感情に蓋をする。
ともすると自虐的な気持ちになってしまうし、俺なんかが手に入れたいだなんておこがましいと自分を自分で攻撃してしまうのだ。けど、これじゃ人に好きになんてなってもらえない。俺はもう失敗したくない。
海部の反応を予想することなどできなかったが、それでも意外なものだった。
「どうしたら良いかわかんねーんだよ」
真面目な顔で、子どものように海部が言う。どの瞬間だったろうか。さっきまでくっついていた彼と俺の手は離れていた。
「今も、最近も、どうしたら良いか全然わかんないんだ」
また、今度は静かに海部が言った。
「同じかはわからないけど、俺もなんかよくわかんない」
お前もかよ、と海部がわずかに笑った。
「よくわかんねーけど、少女漫画の相手役だったら、この状況を格好良く乗りきれる気がする」
「例え違わない?」
「いや、合ってる」
「そう」
また沈黙に見舞われる。今は色々と言っちゃっても良い時なのだろうか。試しに、海部に身を寄せてみる。背中に感触。抱きしめられた。
海部はいいやつだ。
小学生の頃、彼は人の真ん中にいた。話したことがないからどういう人かは想像で知るしかなかったけれど、雰囲気が優しかった。
高等部に上がった時に声をかけてくれて嬉しかった。俺は初対面の人と接する時は大抵使いものにならないボロ雑巾みたいになるのに、海部の時はまだ掃除可能だった。雰囲気に助けられたんだと思う。
「鏡、俺を格好良いと思ってるだろ。……っていうと、なんか痛いナルシストみたいだけどさ」
頭の上から少し照れくさそうな海部の声が落ちてきた。しっかりと抱きあう形になっているから彼の表情は伺えない。顔は見えないが、不安はなかった。ぬくぬくとしていて、まるでひだまりの中にいるようだった。
「格好良いと思ってるよ」
「俺も、格好良くいようと思ってたんだよ。さっきまで。できるだけ」
「でも、格好良いよ。うらやましい。俺、なよなよしてるから」
「精進合宿でムキムキになりゃいいって」
ムキムキになりたいわけではない。この女々しい内面をどうにかしたいのだ。それに、ムキムキになったらこうやって擦り寄れない。海部が今まで付き合ったのだって可愛い子とか綺麗な子ばかりだから。
「ムキムキになったら、俺、生徒会にいられないと思うよ」
「かっこ良くなるんじゃねーの? 大丈夫」
「……あのさ」
「何?」
つぶやくと、聞こえなかったのが海部が少しだけ体を離して顔を覗きこんできた。普通よりも吊り気味な目が彼をより意志の強い男に見えさせる。
思わず目を逸らした。言っても良いだろうか。きっと海部ならば引かない。俺は、おそらく自分で思っている以上に海部のことを信用してる。悩んでいても、どこかで海部はどこまでも俺を許すだろうと信じているのだ。
海部の胸のあたりに額を付ける。気のせいかもしれないけれど、彼も俺とおなじくらいドキドキしている気がした。それに少しだけ安堵する。
「俺、こういうふうに一緒にいてくれるのが嬉しいんだ」
「……お前が望んだら、みんな喜んで一緒にいるだろ」
海部の言葉に、いつもふにゃふにゃしている心がしっかりとしたのを感じた。それほど彼の言葉は見当外れだったのだ。俺は誰にでも一緒にいて欲しいわけじゃない。
強い気持ちを持って顔を上げた。それから今度はしっかりと海部の目を見て言い切る。
「海部じゃないと嬉しくない」
言うと、海部は余裕の表情で笑うが、部屋の光が彼が頬を赤く染めたのを知らせてしまう。照れたのかな。俺の言葉で? もしそうなら少しは意識してくれているのだろうか。そうだったら嬉しい。
「……俺、格好悪いんだよ」
海部が俺を強い力で抱きしめ直す。俺も彼の背に手を回した。
「俺は、鏡が思ってるようなやつじゃない」
「そうなの?」
「ああ」
背中に置いていた右手を俺と海部の間に潜り込ませ、彼の胸を触ってみる。手から海部の鼓動が伝わる。
「ドキドキしてるだろ」
「うん」
「結構テンパッてんだよ」
「どうして?」
「どうすりゃいいかなって」
自嘲気味に海部が笑うが、今この状態で緊張し、考えあぐねていることを知っても全く俺の中の海部は変わらない。
だって、海部の格好良さはたくさんあるのだ。そして、彼の持っている格好良さがひとつずつ消えていったとしても、最後のものは絶対に消えない。言葉で表すのはとてもむずかしいけれど、なんとなく俺はそれがどんなものか把握している。
海部と過ごした時間は決して長くはないが、俺は誰よりも海部のことを見てきた自信があるからわかっている。これだけは自信を持って言える。
「俺の格好悪いとこ知っても、さっきのやつ言ってくれよ」
笑いながら、それでも真剣に海部が言った。
俺は、どうしたら良いのだろう。
今ならば相談できる相手はいる。海部の他にも慶也をはじめ、白石、矢野だって真面目に話を聞いてくれるし一緒に考えてくれるだろう。
だけど、これは自分で考えなければいけない。そう思った。