再会
学ランに着替え、委員長の出て行ったドアからでると、だだっぴろいホールらしきところに出た。高級ホテルのフロントのようだが、誰の姿もない。
「やっと来た。君、着替え遅いよ」
「!」
心臓が止まる。
驚いて声のした左側を向けば、面会室のドアのすぐそば、壁に気怠げに寄りかかっている委員長の姿があった。
「い、い、い、い、委員長さん!」
「橘。名前」
「た、橘さん」
「そう。ほら、早く正面のエレベーターに乗ってよ」
「エレベーター?」
橘さんが指さした方を見ると、左右開きの豪華なエレベーターがあった。
「早く。今玄関とホールのドアに鍵掛けてるから」
「え?」
「面会室から出てくるとこ見られたらまずいし。今、部活帰りとかが返ってくる時間だし。ほら、急いで」
「はい」
橘さんに急かされて、俺はエレベーターへと走った。ふと後ろを見ると、玄関の向こうにたくさんの生徒が見える。どんどんと、ドアを叩いている生徒もいて、みな怒っているようだった。
(橘さん……)
また人に迷惑を掛けてしまったと罪悪感が生じたが、それに落ち込む前に首を振り、排除した。
(悪い、よりもありがとうって思わないと)
エレベーターに乗り込み、迷わず5階を押す。胸のどきどきは、期待のせいではなかった。
エレベーターのドアが開くと、そこは俺の学校と同じく騒がしかった。今は生徒会とか、委員長しかいないフロアに住んでいるが、去年までは俺もこの喧騒の中にいた。用もないのに廊下や共同スペースには生徒たちが集まり、談笑したり、それを通り越して騒いでいる。
みな話に夢中で俺には気づかない。だけど、俺は挙動不審だ。多分緊張がそのまま顔に出ているだろう。誰も気づいていない今のうちに恭弥君の部屋を探しださなければ。
そう思い、案内板を探す。こういうところには大抵部屋番号が書かれた地図がある。
正面は壁。廊下は左右に伸びており、右も左もまず共同スペースがある。その隣にはなんらかの部屋があり、その向こうに各居室が広がっているらしい。
案内板は……ない。
(と思ったらあった!)
正面の壁に案内板は掛けられている。しかし、肝心のところがそこでたむろしている生徒に隠れてしまっていた。
……最短で行けないのは痛いけれど、とにかく、進んでみよう。
そう思い、右に向かい歩き出した時だった。
「誰?」
声を掛けられた。
心臓が大きく跳ねる。
こわごわ振り向くと、背の高い、いかにもちゃらそうな、だけど驚くほど格好良い少年が立っていた。髪の毛は金。だけど、彼の髪は美しく、金髪という言葉はどこか似合わない。人工的な感じは一切ない天然のブロンドのようだ。艷やかで、幻想的な絵のようで、美しい。
「うわ。やっべ、あんたすっげー可愛い! なあ、一年?」
「どうしたの佐原って、うお! 誰!? やっべー!」
「一年でしょ。見たことねえ」
「でも、こんだけ可愛かったらわかるだろ。入学式からわかるだろ! つうか内部生だったら中等部からわかるだろ!」
「なあ、名前は? つうか、何きょろきょろしてたん?」
あの、と言うがテンパッて声が出ない。あまりの情けなさに震えてきそうだ。この少年たちの言葉が耳に入らない。怖い。人に対して未だに勝手に恐怖を覚える自分が本当に情けなかった。情けなさを自覚するために来たんじゃないのに。俺は、おれが来た理由は――
「木戸! 恭弥君の部屋! どこですか」
声が出た。
少年たちが鳩が豆鉄砲を食ったような、信じられない表情を浮かべる。
「ま、まじ!? 木戸!?」
「やべー! 修羅場じゃねえ? 修羅場るんじゃねえ!? 見てえ!」
「明日尋問だな」
ブロンドがにやりと笑い、ああ、俺はまた恭弥君に迷惑を掛けてしまったんだ……と挙動不審だった自分を悔やむ。
「良いよ、付いてきな」
ブロンドが悠々と歩き出す。……左側へ。
「佐原、襲うんじゃねーぞ!」
「風紀が襲うかよ。橘さんに殺される」
「いっぺんしね!」
ぎゃはは、と後ろから陽気な笑い声が響く。
ブロンドは佐原という名前らしい。佐原は騒ぎ立てる少年たちにひらりと手を上げた。それが様になっている。
佐原に連れられて恭弥君の部屋を目指している間、俺は注目の的になっていた。俺の学校に負けず劣らずの熱視線、と、大音声。見たことねえ、とか、誰、とか、可愛い、とか綺麗とか言う声が聞こえていた。恭弥君の学校の雰囲気は俺の学校とよく似ている。全寮制の男子校だし、交通の便も悪い。これだけ似ていると、もしかしたら男なのに男が好きな子がたくさんいるかも……。
もし、恭弥くんが可愛い恭弥君のままだったら大ピンチだ。俺でさえ貞操の危機に晒されることが多いんだから、恭弥君なんてもっともっとだろう。
でも、そうだ、恭弥君は風紀委員なんだ。それなら強いと思う。少し安心する。もし可愛いままでも、大丈夫だから風紀委員なんだ。
「ここだよ、518。木戸の部屋。同室者は節操なしだから喰われないように気を付けて」
「あ、ありがと」
「お礼してくれるんなら部屋に来て。木戸知ってるから」
くすりと妖しく笑い、佐原は手を上げて去っていく。
その背中を眺める。また、助けられた。恭弥君とふたりで、自分たちだけの世界に閉じこもっていた時には、人がこんなに手を差し伸べてくれるものだとは知らなかった。
橘さんは無様に木の陰に隠れている俺に引くことなく接してくれたし、佐原も挙動不審な俺をからかわずにここまで連れてきてくれた。特に、木の下で丸まっている俺は不審者に他ならなかったはずなのに……。
こんな俺の思考は、周りに集まってきた少年たちによって途絶えた。
「あんた、誰? 一年?」
「多田のなんかじゃねえの?」
「あいつもっと平凡な方が好きじゃん。こいつ超可愛いもん」
「てことは木戸? あいつ、ついに浮気か!」
「でも可愛い」
「綺麗」
「名前なんていうの?」
俺がとろとろしている内にあっという間に人だかりができていた。早く押せば良いけど、こんな状況でインターホンを押しても迷惑になってしまう。
そもそも、ずっと会っていない、しかも良くない別れ方をした友達が学生長に突然来る事自体迷惑なことなのに。
どうしよう。
また、迷う。
自分を殴りたくなった。
「うるせえ……」
すぐそばでドアが開く音がして、何もできず俯いている俺の上に、声が降る。はっと見上げると、見知らぬ少年と目が合った。
でも、見知らぬと思ったのは一瞬で、すぐ誰かわかった。少年が、俺を見て目を見開く。大きくなった。俺よりも小さかったのに、目の高さがだいぶ違う。けれど、強気な目だけはそのままだった。
「レイちゃん?」
少年がつぶやく。周りに集まってきた少年らが何やら騒ぎ立てている。
周囲の声など聞こえない様子で、しばらく恭弥君は固まっていた。一回は目が合ったのに、俺は彼の顔を見られず俯くしか無い。
どうしよう。弱い心がまたにょきにょきと顔を出す。
だめだ。俺なんて、という思考を排除しなければならないのに。
「いき、いきなり、ごめんね。わ、忘れようとしてたなら……ごめん」
あたりがいっそう騒がしくなる。この騒ぎは俺の言葉によってもたらされたものだと理解する。
その上、俺はあいも変わらずうじうじとして最低な言葉を恭弥君に投げつけた。
あれだけした覚悟が儚く散る。
『絶対に目を逸らしちゃダメだよ』
恭弥君に言われた言葉が蘇り、俺を責めた。
少しだけ、変われたと思ってた。少しだけ、強くなれたと思ってた。けれど、それは思い込みだった。
あんな別れ方をしたのに突然訪ねてきて、しかもみんなにからかわれている。俺は最悪なことをしている。
「まじで! まじで木戸の何? すげえ可愛いんだけど!」
「忘れるって何!? もしや、お前!」
「やばい! やばい!」
「浮気! 浮気!」
その時、手を引かれた。そうして暗い部屋の中に押し込められる。恭弥君は俺と入れ替わるようにしてドアの前に立ち、集まってきた寮生たちと対峙している。俺の前に立つ恭弥君の背中に、幼き日の背が重なった。ふいに泣きそうになった。迷惑なことをしているのに、また守られたような気がしたのだ。昔だって小さな彼が太っていた俺を隠せるわけがないのに、恭弥君は必死で俺を守ろうとしてくれていた。
「か、え、れ」
威圧的にドアの外に向けて言い放ち、恭弥君はドアを閉めた。そして、ゆっくりと振り返る。電気のついていない部屋はうす暗かったが、距離が近いせいか顔がよく見えた。
女の子のような可愛らしさはなくなり、すっかり男の子になっている。男の子とももう呼べないかもしれない。男の子というと、小さな子が思い浮かぶから。
「まじでレイちゃん?」
広くはない玄関先で恭弥くんが少し屈んで俺の顔を見てくる。彼の表情には驚きしかないように思えた。そして、よく見ると恭弥君は変わっていない。派手ではないけれど、整ったパーツ、少し長めの黒髪。でも一番変わらないのはやはり強気な目だ。
「そうだよ。い、いきなり、ごめんなさい」
恭弥くんは、俺の顔を凝視している。穴が空くほど、とはこのことを言うのだろう。いたたまれない。
「トリップしてた!」
しばらくして、恭弥くんが一度強くまばたきをした。
「びっくりしすぎると止まるね、時! まさか、レイちゃんが寮に来るなんて思わなかったもん、まじでびっくり」
そう言って恭弥くんは笑った。その笑顔に俺は涙がせり上がってくるのを感じた。それを奥歯を噛み締めて耐える。目一杯力を入れると案外涙は流れないのだ。
「部屋行く? どうせ同室のやつは帰ってこないから共有スペースでもいいけど。あ。リビングのことね。腹減ってるなら昨日の残りあるし」
恭弥くんに促され、部屋の中へと入る。
「すいてない、よ」
本当は空いているはずだが、緊張と罪悪感と色んなモノがまざりあい今だと何も喉を通らないだろう。
「そう? 食細くなったの? ま、いっか。腹鳴ったら温めることにしよう。さあ、どうぞ」
俺は恭弥君の背中だけを見て、彼のあとを追う。
「狭いけど、昨日丁度片付けたんだ」
恭弥君はこういってリビングを横断したところにあるドアを開けた。ベッドと本棚、それから机だけのシンプルな部屋。恭弥くんの言うとおりよく片付いている。本棚には何冊か料理の本があった。
部屋に入った恭弥くんはベッドに座り、隣をぽんぽんと叩いた。座ってもいいということなのだろう。無意識にだが俺はまた謝り、彼の隣に腰掛ける。
少し動けば肩が触れる位置。位置取りが近すぎたようだが、離れるのも憚られた。
「手紙、届いた?」
突然来たくせに自分からは何も言い出せない俺に、恭弥君が訊いた。
騒がれてしまったし、ここの制服を着ているし、今日のことで聞きたいことは山積みだろうに、恭弥君は全く顔や態度に出さず、柔らかい雰囲気で俺に接してくれている。
「春……春休みに入ってすぐ、男の子が届けてくれた、よ」
言うと、恭弥君の眉がぴくりと動いた。しかし、すぐに微笑んでくれる。もしかしたら、その後も手紙を書いてくれたのかもしれない。
「龍騎に頼んだんだよ。覚えてる? レイちゃんがいいやつそうって言ってた子」
「え……」
今度は俺が驚く番だった。リュウキ。俺はリュウキという名前の少年をひとりだけ知っている。
「……海部?」
「そうそう。そんな名字だった」
「今、仲良くしてる」
「そっか」
恭弥君はとても嬉しそうに表情を緩めた。
恭弥君の隣に座っていると、距離の近さとかは抜きにしてとてもぽかぽかとしてきた。これは昔からそうだ。嫌なことがあった時も、恭弥君の隣にこうして座ると心がぽかぽかとするのだ。
緊張が解れてくる。
自己嫌悪が薄れ、大丈夫かもしれないと思えた。これがいいことか悪いことかはわからないけれど。
俺は改めて恭弥君を見た。意志の強そうな目と俺の女々しい目が合う。
恭弥くんは俺とは違って、自分に間違ったことは絶対にしない。自分の心をきちんと理解した上で正直に生きている。俺にはそれがまぶしかった。まぶしすぎて目が眩み、憧れることも出来なかったけれど、恭弥くんのようになりたいと思いがんばったなら、俺は強くなれただろうか。自分の心に正直に生きられただろうか。
ここまで考えて、わずかに首を振る。
違う、俺はここにうじうじするために来たんじゃない。
さっき散ったはずの覚悟を、なんとか拾い集める。
「俺、恭弥君に謝りに来たんだ」
恭弥君が俺を見る。また、意思の強い目と目があった。今度は目を逸らさない。
「何を謝んの?」
恭弥君がわずかに声のトーンを落とした。俺は、ごめんねでいつも彼を傷つけてきたのだろう。
「恭弥君といっしょにいたいって、俺、本当のこと言わなかったから」
目を逸らさずに告げた。強いはずの恭弥君は一瞬虚を突かれたように静止し、それから視線を逸らした。