白銀
三月兎は三月が怖かった。
三月は、おかしくなるのだ。兎の性かわからぬが、とてつもなく変な気分になって、記憶が途切れ、それから、よく帽子屋が倒れている。
おそらくは自分のせいなのだろうと三月兎は思っている。
「三月になると、君は跳ねるんだよ。身体も……色々な所も」
「意識も跳ねるなんてとんでもない。とんでもないね」
「意識が跳ねるならどうでも良いじゃないか」
「自分のことくらい覚えていたいんだよ。前も言った」
「おれが覚えてるからいいじゃないか」帽子屋がどうでも良さそうに言う。
三月兎は、目深にかぶった帽子のせいで口元しか見えない帽子屋の表情を見た。
「本当にどうでも良いと思ってるの?」
「どうでも良いと思ってるよ」
帽子屋の口が、笑みの形に変わる。帽子から出ている髪の毛が、太陽か月か分からぬが、きらきらと輝いていた。三月兎が手を伸ばす。
突き抜けるかと思ったが、透けているのかと思ったが、きらきらと輝くものには確かに実体がある様で、三月兎の指が、ふわふわとした食パンのような髪の毛をさわった。
「白いの? それとも銀色?」白と銀の違いなんて分からないから尋ねてみる。
違いがわからないなら、白なのか銀色なのかわからなくても良いと思ったが、白だったらあの白兎とかぶってしまう。
それに、帽子屋のことは知っていたい。三月兎は答えを待った。
「白が輝いているんだ」
「じゃあ、白?」
「白……でも銀でもない」
「ふーん。ねえ、それよりお茶しようよ、お茶」
帽子屋は三月兎の提案に無言で乗り、空っぽのティーポットに熱湯を注いだ。
三月兎は、黙ってお茶の準備をする素直な帽子屋を満足げに眺めていたが、ふと、ある不安が沸き上がって来る。
――帽子屋は、自分が狂ってる間、何をしているのだろうか。
とたんに、三月兎の身体中を、ざわざわした、不快な衝動が駆け巡る。
「帽子屋さんよ」
「なんだい兎さん」
「あんた、兎は好き?」
「愚問だね」
「じゃあ猫は?」
「好きなもんか」
三月兎は、白の髪をして燃えるような血の色の目を持った、あの忌々しい白兎を思い出した。
兎のくせに三月になってもおかしくならないなんて、三月兎はかねてからあの白兎は兎でないと思っている。
白の毛に紅い瞳はまさに兎だが、きっと、何か他の種族のアルビノに違いない。
「あんたは、俺のそばにずっといるの?」
「いるよ」
「三月も、ずっと?」
「三月も、ずっと」
いけしゃあしゃあと帽子屋が言う。
もはや三月兎の脳内は、帽子屋といけすかない白兎の獣染みた情事でいっぱいだった。
「白兎は」
「白兎?」
「三月の白兎は?」
「知らない。君みたいにどこかで盛ってるんじゃないの?」
「俺は?」
「君は、おれに盛ってるじゃないか」
「それは三月だけじゃない!」
帽子屋がにやりと笑って、煮だったポットに茶葉を入れた。
「おいしかったらいいけどね」
「俺は良い香りだったらなんでもいい」
「マタタビの香りがするんじゃない?」
「なんでマタタビ?」
「これ、猫にもらったから」
「猫だって!?」
三月兎が激昂する。ひとりで勝手に怒ったり戻ったりする彼を見て、帽子屋は三月が近づいてきているのだろうかと思った。
「ボウシヤ、インラン!」
そう叫び、三月兎は彼の家へと駆け込んでいってしまった。
「それは君の方じゃないか」
帽子屋の呟きは、声に出ていたか出ていないのか、三月兎には届かなかった。しかし、予期せぬものに聞こえていたようだ。
三月兎が家に駆け込み、帽子屋が心で呟いた数分後、マタタビの匂いと痴話喧嘩に誘われた猫がやってきた。
猫は、大きな口を吊り上げると、何も言わずに三月兎の席に座り、帽子屋の帽子を取って遊び始める。
窓から食い入るようにそれを見ていた三月兎が、自棄になり三月を引き寄せようと時間に語りかけたが、くだらぬと一蹴、断られてしまった。