早寝記録

ローション調達

「ゴムは手に入れたし、ローション買いに行こう」
 俺の制服にこびりついた白いあれを綺麗に拭きとった染井が、清々しく言い放った。
「つうか、一度に済ませようよ……恥ずかしい」
「ザッツライトっていう店があるんだけど、松見知ってる?」
 あたり前のつっこみを入れた俺に向かって、染井がきらきらと目を輝かせながら尋ねて来る。
「聞いたことねえ」
「通販でしか売らないおもちゃとか色々あるって有名なんだ。俺一回行ってみたくてさー。こんな機会じゃねえと行くことねえじゃん」
「……染井って、結構淡白なのかなって思ってたけど変態なの?」
「学校で、俺が結構一緒にいる初村って知ってる? そいつがすげー詳しいんだよ。で、一回行ったほうがいいって言われてて興味あってさ。変態かどうかは自分でもまだわかんねー。今日の夜わかる気がするけど」
 嬉しそうに笑う染井に、俺は何も言えなかった。染井は今なみなみならぬ好奇心に突き動かされている。彼は強い相手、しかも複数とケンカをするのが好きだが、その相手を見つけた時の目をしていた。
 俺は、明日、いや今晩の自分を想像した。多分、3日は学校に行けない。

* * *

「何か……すげーな」
「うん……」
 卑猥なお店、ザッツライトに入った瞬間、染井が呟いた。あんなに意気揚々としていたのに若干引き気味に思える。まあ、でもわかる。
 街のメインストリートから数本入り込んだ路地の一角にザッツライトはある。昼間でも薄暗い場所だが、魅惑的なピンクというか紫色の電球によって照らされており、いっそうのうさんくささを覚える。しかも結構でかく、無駄に3階建てだ。
 玄関から入った途端飛び込んできたのは超薄型の3文字。巨大なダッチワイフの背中に超極太のゴシック体で書かれていた。その人形を囲むように天井から空気で膨らませたコンドームが吊るされており(風船のつもりだろうか)、それを見た時の俺の率直な感想は「帰りたい」だった。
 中はまるでお化け屋敷で、暗く、照明も赤い。ダッチワイフから左右に伸びる道があり、ダッチワイフを挟んで看板があった。左がノーマル、右がアブノーマルと書かれている。
「さあ、気を取り直して見て回るか!」
 早くも衝撃から立ち直った染井が俺を良い笑顔で振り返る。正直気を取り直したくもない場面だが、俺は一応首肯し右に向かって歩き出した染井に続いた。アブノーマル方面には行きたくなかったが、仕方ない。だって男同士だから。
 そう受け入れたのも束の間、アブノーマルはアブノーマルだった。なんか、見たくないものがたくさんある。俺はなるべく見ないようにして、まるでお化け屋敷で彼氏にくっつく彼女のように染井についていく。染井の足取りも心なしか早足だ。
 染井の背中を見続けて数十秒。視界が明るくなり顔を上げてあたりを見ると、ホームセンターに似ている場所に出た。それほど広くはないが、明るく、上方にいくつも案内の看板が出ていた。左はじに『♪愛液♪』と書かれた看板があり、すごく嫌な気持ちになったが俺達はそこに向かうことにした。平日の夕方だというのに客はほどよく入っており、人類の多大なるエロへの関心がうかがえる。
 『!愛棒!』『お薬★』『手錠』コーナーを通り過ぎる。各コーナーには店員が一名ずつ配置されていた。手錠コーナーにいる店員は優しげな風貌をした男で接客中だったが、わずかに聞こえた会話からも相当の手錠マニアだということがわかった。ということは、ローションコーナーにいる店員はぬるぬるのプロなのだろうか。
「……やっとついた」
 落ち着かない様子で染井が言い、『♪愛液♪』と書かれた看板を見上げた。看板の下には二列ほどのローションコーナーがある。一番奥に店員がおり、真面目そうなOL風の女性と話をしている。
「なあ、松見、どんなのが良い?」
 棚にはローションしかない。小指ほどの小瓶からビール瓶くらいのものまで様々なローションが陳列されている。でも別にローションにこだわりなんてないし、突っ込まれる俺からしたら痛くないのなら何でも良かった。ていうかわからない。
「なんでもいいよ」
「あ。これは? 処女御用達って書いてある」
 染井が嬉々として淡い桃色の液体が入った瓶を手に取った。
「それは……なんかやだ……」
「それ良いよ? 女の子の初めての時にはぜひ!」
 突然後ろから声がかかり見て見ると、ピンクのエプロンを着たひげ面のおっさんがにこにこと笑って俺達を見ていた。彼はふたりで使うローションを選んでいるなんて夢にも思わないだろう。普通に返そうと口を開く。
「そうなんですか」
 俺は続けてはは、と笑ってみた。
「そうなんですか、じゃねーよ。女に使うんじゃねーじゃん」
「染井!」
 俺の渾身のはぐらかしは染井の手によって砕け散る。
「あら? じゃあ男の子? ふたり付き合ってるの? それならこっち。上にイイトコあるよ」
 店員は一瞬驚いたようだったがすぐに破顔し俺達を手招いた。染井がちらりと俺を見て店員に言う。
「付き合ってはないっす」
「あら、そう?」
 ニンマリと笑っておっさんが歩き出す。二人でヤることがバレてしまったが、おっさんはどことなくガチの雰囲気を漂わせており、それが恥ずかしさから少し逃げさせてくれた。
 
* * *

 おっさんが案内してくれた3階はファンタジーのフロアだった。ライトなものからハードなものまで普通に生きてきたらおおよそお目にかかれないものばかりが並んでいる。男同士の動画に漫画、その手のグッズ、アニメ作品やゲーム……様々なものが揃っている。壁は一面ポスターだらけで、アニメからアダルト用品の宣伝まで様々だ。その中で目を引いたのは『出会い目的での来店は固く禁じます』と書かれた注意書きだった。見つけた場合は慣らさず掘ると続いている。
「なんか、いろいろあんなー」
 染井はこの空間が落ち着くのか、一階にいた時よりもリラックスした様子でところ狭しと置かれている商品棚に目を向けている。
「あ。『わくわく☆SMセット~ハードにきめて~』だって。どうする?」
 そして立ち止まったかと思いきや目の前の商品を掴み俺に渡してきた。ぐいと押し付けられて思わず受け取ってしまったが、パッケージからもやばい雰囲気がムンムン漂ってきている。
「お断りします」
 そのまま染井に返すが、染井は不満げに眉を顰めて受け取らない。
「半額だよ。買おうよ。つうか、見た瞬間これ買うって思ったからね、俺。無駄にどうする? とか聞いちゃったけど社交辞令は不要だったわ」
「いやいやいやいや。お前今すげー冷静に変なこと言ってるよ? なあ、ちょっと普通に考えて欲しいんだけど、普通に考えて嫌に決まってんじゃん。ふたりでヤるのはいいんだよ。それは俺も若干のりのりだから。でもさあ、まずケツ処女であるのにSMとか、しかもハードにきめてってなんだよって感じなんだけど、わかる? 全然ワクワクしないんだけど」
「そう? 初めに大変な思いするとと次楽じゃん。ケツ処女だからこそハードにキメようぜ」
「次あんのかよ!」
 あ。なんか突っ込む所間違った気がする。
「良かったらあるだろ、普通に」
 しかし、間違いを訂正するより早く染井が当然の顔をして返事をくれた。でも――
「つ、次ある相手とは付き合わなきゃダメだろ! 倫理的に」
「じゃあ付き合えばいいじゃん」
 染井が爆弾を落とす。こいつ、すっごく軽く言った。最低なことを、すっごく軽く言った!
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
「いやいや言い過ぎ」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
「いやいや増えすぎ」
「いやいや。いやいや言うってまじで。増えるってまじで。いやね、俺はまさかお前がそこまで貞操観念、じゃねえや、なんていうのこういうの、倫理が崩壊している若者だとは思いませんでしたよ。すっげー軽く言ったよね。俺がもしお前に惚れてたら大変よ? わかる? ねえ、わかってくれる?」
「倫理とか人を陥れて儲けてる松見には言われたくねえな」
「ここでそれを出しますか!」
「……でも、結構安くねえ? これ」
「ゲイコーナー総入れ替え特価品だからね!」
 連れてきてくれたおっさんが入ってくる。ていうかそうか、普通に聞かれるよな、俺達のこのなんかプライベートな恥ずかしい会話! でも、だけど――
「げ、ゲイコーナー……」
「どうしたよ。何ショック受けてんの。現状受け入れろよ」
「い、いやあ。ゲイという二文字が結構生々しくて……」
「あほか。……あ。このSMセット、たけくらべ出してもお釣りくんじゃん……」
「何本気で買おうとしてんだよ! 俺の意見もちょっとは聞けよ! 俺はそんなのやらねえからな。ほんっと、ケツは大事にして生きていきてえんだ」
「お前、今日財布の中に学問のすすめ書いた人いる?」
「いねえよ」
「じゃあたけくらべは?」
「いねえ」
「は? じゃあもじゃもじゃは?」
「そこはもじゃもじゃなのかよ!」
「え……だって俺、著書知らねえし、なんの研究したかは知ってるけど、今梅毒って、なあ?」
「なあ? じゃねえよ! もう知らん! 俺は俺のためにローションを探す! 買う! もじゃもじゃ1人で済むような奴!」
 染井をSMコーナーに残し俺は奥に見えているローションコーナーへと向かった。店員は俺のあとを追い声を掛けてくれる。
「君があんあんする方なのね」
 ありがたくない声がけだった。なんかもうみんな鬱陶しい。
 でも、さすが変態の店。安いのから高いのまで引くほどたくさんのローションが今俺の目の前にある。それは一階にも負けず劣らずの量だ。棚は俺の背の高さくらいだが、その後ろにもいくつか棚があり、見たところ後ろの棚に置かれているのは様々な国の輸入品だ。人類のケツへの多大なる探究心がうかがえる。
「……あ、安心っていうか、やっぱ良いのってタチバナ製ですか?」
 数がありすぎてわけがわからず店員のおっさんに恥を忍んで尋ねる。俺でも唯一知っているエロメーカー。確か、品質安心タチバナ製……というエロを押し出していない宣伝文句だった気がする。
「そうねえ、ちょっと高いけど……。あ、そうだ、試供品をあ・げ・る」
「……え、ああ、どうも」
 もはや性癖を隠さなくなったおっさんがローションコーナから近くにあるレジの後ろにはけ、ごそごそとダンボールを漁り、一本の細くて小さな瓶を取り出した。そしてまた戻ってきてそれを俺に手渡した。
 手渡されたそれはドラッグストアに売られているような、ベビーオイルと言っても良いくらい清潔でよくある感じのパッケージ。ローションの色も桃とか黄色じゃなく透明だった。
「あまり入っていないように見えるけど、結構強力だからちょうどいいわ」
「きょ、強力……」
「そこは安心して。品質安心タチバナ製だもの」
「……どうも」
 礼を言い、胸ポケットにしまう。携帯性もバッチリだ。これなら学校でも……いやいやいやいや、それはない。
「それにタチバナ製よりは劣るけど、こういうのを併せて使ってもいいわよ」
 レジから出てきたおっさんが棚と向き合っている俺の後ろから手を伸ばし陳列されているローションを取る。おやじの顔が近く耳の所に吐息を感じ、ゲイに人気の高そうなおっさんの密着に身の危険を覚える。
「あら? あまり緊張しないで? でも不安だったら言ってね? 彼の前に私がほぐしてあ・げ・る」
「結構です」
「え」
 その時ぐいと腕を引かれた。いつの間にか近くに来ていた染井が俺の腕を引いたのだ。腕を引かれた俺は染井に抱き込まれる形になり頭にはてなが並ぶ。
「染井、お前――」
 至近距離にある染井の顔を見上げると、彼は面白くなさそうな不機嫌な顔をしていた。
 なんなの? なんでこいつこんな彼氏面してるわけ?
 おっさんも俺と同じことを思ったのか頬に手を当ててあらあらと繰り返している。
「染井何どうしたの? もしかしてお前の妄想の中で俺もうイッた? 結構良くて付き合うことになったとか?」
「いや、なんとなく、プロにほぐしてもらうとかすげー負けた気がして」
「そこは負けを認めろよ。別に俺おっ、店員さんにほぐしてもらいてーとか思ってないけど、ヤったことない染井より店員さんのほうが上手に決まってる。つうか初めてなのに上手かったら引く」
「結構器用貧乏だよ、俺」
「それならそれでいいけどさぁ……っていうかもう俺なんでもいいわ」
 なんだか疲れて染井の胸に背を付ける。疲れた。つっこみ疲れたのか、色々初体験と緊張が重なって疲れたのかは分からないがとにかくなんだか疲れてしまった。帰って早く寝たいが、そういえばヤるんだっけ?
 もし明日じゃなくて今夜が勝負ならば帰っても寝られないし、疲れてもいられない。本当に恥ずかしい話だが、散々乗り気じゃないような素振りを見せていても俺はずっと染井とヤってみたかったのだ。
 ちらりと染井を見る。染井はつれねえとか何とか言いながら、さっきのおっさんのように俺の後ろから手を伸ばし商品のローションを次から次へと手に取り流し見ている。
「あ、業務用サイズ」
 染井が背伸びをして上の方に陳列されていたどでかいボトルを手に取った。
「業務用って、ドレッシングかよ……」
「松見、業務用ドレッシングすげーストックしてるもんなあ」
「キャベツが主食だから」
「どうでもいいわ。なあ、これだと1週間くらいもつかな」
「どれだけヤんの!」
「へへ」
 染井が笑う。それを見たら自然と嬉しさがこみ上げてきて自分をぶん殴りたくなった。相手男だし目を覚ませよと叫んで力にまかせて殴りたい。可愛らしい小動物を愛でた時、胸がきゅうと鳴くが、今の気持ちはそれに似ている。
 心だけで言うと受け入れ体勢は万全だ。心がけつの穴だったらもうすでにがばがば。気持ち悪い想像に吐き気をもよおす。
「松見、俺これ買ってくるから。松見は外出てて」
「え? なんで?」
「誕生日だろ。何か買ってやる」
「お、おう」
 なにか買ってやるという言葉に少し心ときめかせ、おっさんに挨拶をして外に出た。誕生日プレゼントをもらえるんだ、と思ったらエレベータを下りた先にあるアブノーマルな商品の数々も、外に出た瞬間から俺に襲いかかる白い悪魔すら愛おしい。
「……あれ?」
 しんしんと降り続く雪を黙って見ていてふと気づく。こんな店で買うプレゼント、結構どうしようもなくないか?
 ……。
 …………。
 ………………まあ、いいか。
 怪しげな店の前、きのこと貝殻が描かれた看板に寄りかかりながら染井を待つ。吐く息は白い。普段目に見えないものが見えていることを不思議に思った。原理は簡単なものだけど、なんだか自分がファンタジーの世界の住人になったような気がする。白くて小さな塊が空から落ちてくるのもよく考えれば幻想的だ。幻想的なものだって日常的に見ることによってありきたりな光景になるのだろう。
 もし男友達の染井と肌を合わせることが日常的になったら、それをふつうのことだと思うようになるのだろうか。
「松見ー。おまたせ」
「おかえり」
「ああ。とっとと行こうぜ。あ。まずなんか食って、体力付けよう」
 染井が持つ大きな袋から、業務用サイズのローションが飛び出していた。
「俺、簡単なものなら作れるよ」
 染井がはっとして俺を見る。
「まじかよ。嫁かよ」
「だって飛び出してんじゃん、それ。なんか嫌だよ。しかも目を凝らせばわくわくって見えるし。買ったの? 結局」
「感想教えること条件に七割引きにしてもらった。逃げないようにって連絡先も交換したよ、俺あのおっさんと」
「お前も掘られんね、近い将来」
 からかうと、染井が好みじゃない、と渋い顔をした。
 雪を踏み鳴らしながら、袋からローションを覗かせて家へと向かう。そんな状況に幸せを覚える自分が怖かった。

 常識はどこだ。