早寝記録

 月の出ない晩だった。空は曇っているけれど、もし雲が散ったとしても月はない。
 こんな夜は月見うどんを食べるんだよ、と吉原君は言う。月が好きなのか、彼は新月の夜に月見うどんを食べて月を生み出しているようだった。行動の意味が俺にはわからないが、それで満足するのなら良いだろう。だけど、俺はこの日が好きではなかった。
 曇っていて月もないくせになぜか明るい夜。こんな日はどんなに疲れていても眠れないのだ。夜なのに月が出ていないのに曇っているのになぜか明るい。
 向かい側のベッドで眠っている吉原君の顔がしっかりと見えている。
 しばらくベッドに横になりながらただ何の気なしに吉原君を眺めていた。そのうちに近くで見たくなり、俺は音を立てないように静かにベッドから下りて吉原君に近づいた。
 俺が染めた金色の髪が闇に輝く。純粋にキレイだと思った。それに、元々吉原君の顔の造りは良い。出会った頃は中性的だったが年月とともに男が持つ特有の美しさへと変わった。当初不釣り合いだった金髪も今やとても似合っている。
 華奢だった体つきも細いなりにしっかりとしたものに変化した。
(……羨ましいな)
 完全に成長が止まってしまった自身の体を恨めしく思う。
 不意に吉原君が寝返りを打ち、壁側へと体の向きを変えてしまった。
 起きてもいいやと思い髪を引っ張って顔だけこっちに向かせる。
「ん……」
 小さく呻き、吉原くんが目を開けた。そりゃそうだ。こんなことされてかまわず寝られるやつなんかいない。
 吉原君の目が俺を捉える。やっぱり吉原君は格好良い。たった二年でここまで変わるなんて、やけに悔しかった。

「おはよう……」

 吉原君が朝の挨拶をする。

「まだ十一時だって。朝じゃねえよ」
「……そんなの見ればわかるし」
「おはようっつったじゃん」

 じゃあ起こすな、と言って吉原君が再び目を閉じる。

「そりゃごもっともだけどさー」

 言って、少しだけ考えてみる。今の俺の希望。どうして吉原君を起こしたのか。どうして寝てほしくないのか。考えようとして止めた。答えはわかっている。
 吉原君がうっすらと目を開けた。

「恐いの?」

 嘲笑を含んだ声色で吉原くんが断言する。問いかけだったが、明らかに決めつけていた。

「城宮、一緒に寝て欲しいんだ」

 吉原君がくすりと大人びた笑みをこぼす。彼の勝手な決め付けは当たっていた。

 俺は夜が無性に怖くなることがある。電気をつけたって外に広がっているのは闇だ。夜は明暗とは全く別の闇なのだ。それは恐怖を引き起こす。

 前までは夜に怯えても一人でいるしかなかった。だけど今は吉原君がいる。もしかしたら、こういう時に一緒にいてくれる吉原君がいるからこそ俺は前よりも弱くなってしまったのかもしれない。こんなに素直に怖がれるのかもしれない。

「吉原君すっげーうざい」

 俺が怖がっていることを知ってからかってくるのも、ばかにしたように目を三日月のように細めて笑うのもうざったい。
 だから、乱暴に吉原君がくるまっていた布団を剥いでそこに滑りこむ。寒い、と言って吉原君はすぐに俺が剥がした布団をかけ直した。吉原君の体温によって暖められていた布団に俺も一緒に包まれる。

「ぬくい。気持ちわりーな」

 そう言って吉原君に身を寄せれば、しっかりと抱きしめられた。

「……ダブルベッドって、勝手に買ったら怒られるのかねえ」
「知らねえよ。怒られるんじゃねーの、普通に考えて」
「そっか」
「別に、シングルでもふたりで寝れんじゃん」

 落ちそうだけど、とは付け足さなかった。今だって吉原君がもっと壁側にいけば俺が落ちる心配は無い。今までだってなんで落ちないんだ、と思うような位置取りでも一度だって落ちたことはなかった。きっと俺の寝相がいいのだろう。
 吉原君がふっと息を零した。目線を上げて吉原君の顔を下から覗くと、彼はひどく優しい顔で笑っている。その吉原君の表情を見てなんだか照れくさくなり、体を丸めて目を閉じた。心臓が騒いでいるのとは裏腹に背に回されている吉原君の腕の温度に不安が凪ぐ。
 さっきまで眠れそうもなかったのに今はすぐにでも夢の世界へと旅立ちそうだった。
 うとうととしていた。突然額に柔らかな感触を受けて緩慢に顔を上げる。
 すると、柔らかな感触は今度は唇へと落ちてきた。ぼやけた視界。焦点が定まらないうちに真っ暗になる。抱きしめ直された上、布団を頭の上まで引っ張りあげられたのだ。
 それが彼の照れ隠しなのかどうかは知らないが、おやすみ、と吉原君が呟いた声はいつもより上ずっているように聞こえた。
 それに何も返さず、俺はすぐそばにある吉原君のまだ薄い胸元に額を押し付ける。

 月の出ない晩。
 曇っていて月もないくせになぜか明るい夜。俺はこんな日が好きではなかった。夜になりきれない夜のような気がして、半端者の俺はそんな明けることのない中途半端な闇に引きずり込まれてしまう気がしていたのだ。ありえない妄想だということはわかっていたが、こんな日はどんなに疲れていても眠れない。

 だけど、それは過去の話。
 今は吉原君がいる。俺の弱さを彼はからかうが、それがばかにしたくなるくらいに幸せそうにだからまあ良いかと許してやろう。

 無意識に小さく笑って俺は眠るために目を閉じた。